【第30回】現役通訳者のリレー・コラム「通訳学校を使いこなす・中編」

2)通訳を行う上で必要な基礎訓練ができる

世間でよくある誤解の一つが、「英語(あるいは他の語学)ができれば通訳はできる」というもの。通訳翻訳能力を伸ばすためには、究極的には、外国語力と日本語力を磨く以外にないというのは私も同感です。しかし、「外国語を聞いて/読んで分かる」ということと、「それを他の言語で表現できる」ことには大きな懸隔があり、その差を埋めるための様々な作業、そして訓練が必要になります(勿論、一つの言語世界で表現された事物を他の言語世界で再現するというのは元々困難きわまる取り組みです。そういう意味で言うと、通訳翻訳というのは不可能に挑戦する試みと言っていいかもしれません。それがどれくらい難しいかを理解する力も、訓練を通して養われるものと私は考えています)。

通訳学校では、通訳を行うために必要な作業をいくつかに分解し、それぞれについて反復練習を行います。いくつか例を挙げます。

i) クイック・レスポンス:英語の単語・フレーズを読んで/聞いて、即座に対応する日本語を書く/話す、などの訓練です。通訳学校では、用語集の暗記を義務付けられることが多いですが、これもクイック・レスポンスの一つと言えます。語彙は、日本語母語者にとっては永遠の課題ですね。文献によって諸説ありますが、数年前のEconomistのウェブ記事によると、語彙数を測る試験を行ったところ、殆どの成人ネイティブ・スピーカー被験者の語彙数が25,000語から30,000語だったという結果が出ています。日本で、大学受験に必要とされる単語数の目安が多くても1万語であるのと比べると、常に努力が必要な分野と言えます。また、通訳の仕事をする中で、短時間にたくさんの用語を覚えないといけないことはよくあります。私の場合も、フリーになって初めての展示会の仕事が化粧品のブース担当で、化学用語を40あまりも一晩で覚えて臨んだものでした。クイック・リスポンスにも、外国語と日本語を左右対照に書いたリストを暗記するだけでなく、フラッシュ・カードやアプリを利用する、音声教材を作って移動時間などに聞きながら覚える、など沢山の方法があります。

ii) スラッシュ・リーディング/サイト・トランスレーション(通称サイトラ)

主に外国語の直読直解の手法で、意味の切れ目にスラッシュを入れ、文頭から情報処理を行い訳しおろしていく、というものです。スラッシュ・リーディングとサイトラは互換的に使われる用語ですが、私は、どちらかと言えば情報処理に重きを置きたい時にスラッシュ・リーディング、アウトプットに重きを置きたい時にサイトラと使い分けています。

 通訳学校でリーディングの宿題に課されることが多いエクササイズですが、必ず声に出して練習することをお勧めしたいと思います。口に出してみて詰まってしまうところは、構文を読み違えていたり、十分に言葉の中心的なイメージが捉えられていなかったり訳語が練れていなかったりするところですが、頭で考えるだけではそれが明らかになりにくいのです。また通訳を行う場合は勿論言い直しをしない方がよいのですが、口から思わず意図せざる言葉が飛び出してしまうことがあります。声に出してサイトラの練習をすると、こういう時にできるだけ言い直しをせずにどう収めるかを訓練する機会になります。また、どういう状況になったら観念して言い直しをせざるを得ないか、それを防ぐためにはどこまで目で追ってどの時点で訳出を開始したほうがいいのかについても、見極め対策を練る機会になります。

 私が担当する授業では、ペアになってもらって、一人に英文をゆっくり読んでもらい、読み終わるまでにもう一人にサイトラを終えてもらう、というアクティビティもしています。こういう形での訳出の仕方をボイスオーバーといい、初歩的な同時通訳の訓練です。これがすらすらとできるようになれば、原理的には原稿があれば同時通訳ができるということになりますね。最近では、ウィスパリングのニーズが高いという市場動向もあり、早い段階から同時通訳を見据えた訓練をすることが主流になりつつあります。

 また、サイトラ能力は仕事の上でも非常に役立ちます。監査の仕事で、大量の日本語の資料をサイトラして外国人の監査員に伝える、ということがありました。また、耳だけに頼って訳すのは難しい、非常に内容の濃いスピーチの読み原稿を予めいただいて、自分も対訳を準備して万全だと思っていたのに当日差し替えになったというようなことも日常茶飯事です。通訳者を目指すなら、身につけたい、また常に磨いておきたい能力です。

iii) シャドウイング/リプロダクション

 シャドウイングは、先に書いたように、外国語の音声を流しながら、少し遅れてできるだけ忠実に自分の口からも再生するということ。リプロダクションは、一定のところまで聞いて一旦オリジナル音声を止めて再生する、という方法で、一字一句そのまま再生する方法、言葉を若干変えてもいいから意味を再生する方法など、いくつか方法があります。

シャドウイングについての効用は色々あります。詳しくは、『究極の英語学習法 はじめてのK/Hシステム』(国井信一・橋本敬子著、アルク、2015年)などをご覧ください。シャドウイングの効果に関して否定的な見解もありますが、目的を明確にし、訓練をこれだけに頼らない限り、一定の効果は期待できるのではないかと経験的に思っています。

 通訳訓練を始めたばかりのクラスでは、リプロダクションの練習も行っています。リプロダクション練習の目的は、通訳に必要な短時記憶力を強化すること、優れた表現や構文の英文を覚えること、文頭からの情報処理に慣れること、等です。意味の切れ目で音声を止め、英語をそのまま繰り返してもらうと同時に、そこまでの意味を言ってもらう、つまり「文頭からの情報処理」をしてもらったりしています。つまり、「スラッシュ・リーディング」の音声版ですね。だんだんと、実際の通訳作業につながる活動になっていきますが、「すぐに意味が解釈できない言葉は( )でくくって頭に留めておき、判断できるに足る情報が出てきたらそこで文法構造に沿って意味を解釈すること」「比較級が出てきたら、何と何を比較しているのかアンテナを立てて聞くこと」など、少し細かいテクニックもお伝えしています。

 こういう訓練は、すべて自分でもできるものですが、通訳学校の授業ではより緊張感を持って体験できますし、ペアワークなど、一人ではできない活動をする機会を提供するのも通訳学校の役割ではないかと私は考えています。

3)仲間と切磋琢磨できる・人とのつながりができる

これも、集団学習ならではのベネフィットだと思います。仕事を通じては勿論ですが、自分が通訳学校で学んでみて、また講師として授業を担当してみて、通訳/通訳者にも色々なスタイルがあることを痛感するようになりました。音への反応が速く、ほぼすべての情報を漏れなく網羅するタイプ。訳出時の言葉数はほどほどだけれど、編集能力に優れ話者の言わんとするところが分かりやすく伝わるタイプ。短く区切って畳みかけるように訳すタイプ。逆にかなり長いフレーズを頭に貯めておくことができ、同時通訳でも訳出のスピードを揺らすことなく一定のテンポで安定的に訳出できるタイプ。・・・その他色々あります。他の受講生の通訳を聞いて、「こういうアプローチもあるのか!」「この訳語の選択はうまいな」という場面に触れ、そこから学ぶことができるというのも学校で学ぶことの利点です。

また、仕事や家庭など、みな色々な事情がある中、通訳学校に通い、授業や宿題をこなしていくというのはかなり時間とエネルギーを要する活動です。励ましあえる仲間がいるということで、このプロセスを完走できる確率が高まります。

実際に、通訳学校で一緒に学んだ仲間というつながりは通訳者になっても続く強いものです。何か知りたいことがあってアドバイスを求めたい時、私の場合、通訳学校の同級生がすぐ頭に浮かびます。仕事を紹介しあうこともあります。一緒に机を並べた仲間の場合、実際のパフォーマンスに加えて物事に取り組む姿勢まで知っているわけですから、信頼は厚くなります。また、卒業後も努力し続け、成果を出し続けている仲間の様子を見て、「自分も頑張ろう」と心の励みにもなっています。最近は、「通訳者になりたい」というより「自分の英語力を高めたい」という目的で通訳学校に通われる方も多く、学校から離れた後の進路は様々です。プロ通訳者を目指しているとしても、同じようなテンポで進級したりプロになっていったりするとは限りません。ですが、大人になってから、切磋琢磨できる仲間と巡り合える機会は非常に貴重ではないかと思っています。

人とのつながりという点で言えば、忘れられがちですが、事務局の方々と仲良くしておくということも大切です。行き詰った時、長く受講生を見てきた経験から、講師とはまた違った視点からのアドバイスを頂けることがあります。

4)実践の機会につながりやすい

前にも少し述べましたが、日本の大手通訳学校(民間通訳者養成機関)は、多くの場合、通訳エージェント会社が自社に登録する通訳者を自ら養成しようと設立したものです。なので、学校の成り立ちから、通訳エージェントと強いつながりを持っています。進級を重ね一定のレベルに到達すれば、グループ内の人材派遣部門・通訳エージェントに登録できる場合が多いようです。

最近は、それを更に強化しようという取り組みがあり、現場で受講生と一緒に仕事をすることもあります。通訳学校の受講生や受講希望者が人材派遣部門の担当者の方々に直接話を聞く機会も増えているように思います。クライアントと直接接し、最新の情報を持っている方々なので、直接話を聞くことで市場の動向を把握することができるでしょう。通訳業は、景気や大きなイベント(現在は例えばオリンピック)など外部環境に左右されやすい仕事ですが、その中でもその傾向が強い分野、影響を受けにくい分野等色々あります。通訳者や講師だけではなく、顧客の動向を知る方々に話を聞くことによって、自分のキャリア・プランを考えていくための重要な情報を得られると思います。

日本では、フリーランス通訳者は通訳エージェントに登録して仕事をいただくことが多いので、「最初の一歩」を踏み出すことが非常に重要です。経験がないと登録できない・仕事が来ない、仕事がないから経験が積めない・・・という堂々巡りに陥りがちですが、「通訳学校→同一グループ内の人材派遣部門・通訳エージェント」というルートでは、受講生のうちから経験を積むことも可能です。是非活用して、夢をかなえていただきたいと思っています。

(後編へ続く)


千葉絵里

特許事務所、自動車会社勤務等を経てフリーランス会議通訳者。得意分野は自動車、機械、経営、IR、人材&組織開発。力試しに受験した通訳学校のプレースメントテストをきっかけに通訳訓練を開始、二つの言語世界を行き来する面白さに魅了され現在に至る。元々は内向的な性格であり、昔の友人に「翻訳ではなく通訳をしている」と言うと驚かれる。緊張しやすく動揺しやすい性格を自覚していたため、早くからメンタル・トレーニングに取り組み、その重要性を伝えたいと思っている。通訳学校講師も務め、自分自身と受講生のために、日々効果的な学習方法を探究している。

※第1回~第29回は株式会社アルクの「翻訳・通訳のトビラ」サイトにて公開中!