【第4回】駆け出しのころ「回り道の末に」

「私はプロになれるのだろうか」「いまやっていることは本当に役に立つのだろうか」―デビュー前に誰もが抱く不安、期待、焦燥。本連載はプロ通訳者の駆け出しのころを本人の素直な言葉で綴ります。

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フリーの通訳者として働き始めたのは、ほんの数年前のことです。すでに40代半ばを過ぎていました。通訳者になることを夢見たこともなく、当然、通訳学校に行ったこともなければ、社内通訳の経験もありませんでした。ただ、学生の頃から英語は大好きで、いつかネイティブのように話せるようになりたいと思っていました。そこで短大英文科を卒業後、カナダのバンクーバーへワーキングホリデービザで1年間留学をしました。留学といっても半年ほど現地の語学学校へ通い、あとは寿司屋でバイトをしながら短期旅行を楽しんでいただけでしたが。日本へ帰国後は何か英語を使った仕事をしたいと思い、英会話講師をしたり翻訳会社で下訳の仕事をしていました。ただ、その頃の私は無知なくせにとてもとんがっていて、「英語だけ知っていても大した仕事はできない。『英語屋』にしかなれない」と、英会話講師や通訳者・翻訳者の仕事を少し見下していました。「帰国子女なら誰でもできる」ぐらいに思っていたのかもしれません。

アメリカ人と結婚してフィラデルフィア市近郊に移住してからは、地元の州立大学へ編入して経済学と国際関係学を専攻しました。卒業後、米ゼネラルモーターズ社の子会社である不動産金融会社に就職し、ポートフォリオマネージャーとしてバリバリ仕事をするつもりでいました。ところがリーマンショックで金融業界は超不景気に。リストラされてしまいました。ちょうど二人目の子供を出産したばかりだったのでそのまま主婦生活に突入。子供やママ友との時間はとても楽しかったものの、常に頭のどこかでいつか仕事に復帰したいと考えていました。主婦生活を6年間エンジョイした後、再就職を有利にしようと、近くの大学でパートタイム学生としてMBAを取得。卒業後、めでたく会計事務所に再就職を果たしました。やる気満々な私は、会社では会計監査の仕事を主に任され、CPA(公認会計士)も目指していました。ところが仕事を始めて1年ほどたった頃、どうも数字のにらめっこは自分には向いていないなと考え始め、やる気をなくしてしまいました。

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(写真:子育てをしながらMBAを取得)

翻訳の仕事を始めて2年ほどたったある日、登録していたアメリカのエージェントから「通訳はできますか?」と問い合わせがありました。詳細を聞くと「製薬会社の監査」だったので、それなら会計事務所にいたころの会計監査の知識があるので楽勝、と二つ返事でオーケーしました。ところが実際に現場に行くと、監査は監査でもGMP(医薬品製造管理および品質管理基準)の監査。「ちょっと話が違うやん!」と内心思ったものの、もう後には引けません。理解できない内容は話者にくわしく説明を求めたり、分からない専門用語はわざわざホワイトボードに書いてもらったりしました。自分が分からないことを認めるのは恥ずかしかったけれど、それを無視してお客様にうやむやに内容を伝えることはしたくなかった。幸いにもお客様には、「難しい内容だったのに、詳しい説明で話がよく分かった。」と言っていただけました。しかもこのお客様、次にモントリオールの化学薬品会社でGMP監査があった際にも私を指名してくださったのです!正直に頑張って良かったとつくづく思ったものです。

この通訳デビューに気をよくした私は、もっと通訳勉強をして案件を増やそうと思い立ちました。ところがどうやって勉強したらいいのか全く分からない。案件の増やし方どころか通訳料金の相場すら分からない。「パナって何?」という状態です。アメリカには日本のような通訳学校はなく、カリフォルニア州にあるミドルベリー国際大学院のような大学でしか通訳コースが取れません。通訳コースがある大学はほんの一握りで授業料も高額です。通訳の勉強法や業界情報をネットで検索したり、本を読んだり、知り合いのつてでプロ通訳者の方にメールを送ったりして、長いあいだ試行錯誤しました。頼れる人はおらず、仲間もいなくて、独りぼっちで暗闇を手探りで進んでいるような気分でした。そうこうしているうちにオンラインで通訳コースを受講したり、業界イベントに出席したりするようになり、私と同じように駆け出しの通訳者の方々と知り合うことができました。おかげで勉強方法だけでなく、業界情報やマーケティングの仕方など、情報量は格段に増えました。また、通訳仲間で仕事を紹介しあったり、オンライン自習会を開いたりしてとても良い刺激になっています。

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(写真:米業界カンフェレンスで通訳者仲間と)

私はいまだに駆け出しなのですが、一つ言えることは、これまでの経験や知識は決して無駄ではないということです。カナダの寿司屋でバイトした際に覚えた魚の名前や、不動産金融会社や会計事務所で覚えた金融用語など、思わぬところで通訳案件に使えることがあります。例えば先にお話ししたGMP監査の際に工場視察もあったのですが、その際にhigh throughput screeningという用語が出てきました。日本語でもハイスループットスクリーニングで通じますが、創薬研究の際にロボットを使って大量試験を行う方法で、あえて訳すなら「高速大量スクリーニング」でしょうか。この用語、たまたまアメリカで大学生をしていた時にバイトをしたバイオテック企業がスクリーニング用の試験用試料を販売していて知っていました。バイトの私もこのプロセスのトレーニングを受けていたので、通訳現場でも「あっ、これ知ってる!」と自信を持って訳出できました。

通訳者になるまでにずいぶんと回り道をし、もっと早くに始めていればと思うこともありましたが、最近は回り道をしたからこそ今の私があるのかな、と思ったりしています。

グレンダ由利子(ぐれんだ ゆりこ) 2015年デビュー
京都市出身、短大英文科を卒業後、英会話講師、翻訳会社勤務を経てアメリカへ渡米。米大学で国際関係学学士号、MBA(経営修士号)を取得。米ゼネラルモーターズ社の不動産金融子会社でポートフォリオマネージャーとして7年間勤務。専業主婦生活を経て、会計監査事務所勤務後フリーの翻訳家に。2015年にフリーランス通訳者としてデビュー。これまで国際会議や、ビジネス・視察会議、展示会、裁判、電話通訳(OPI)、遠隔同通(RSI)などの案件を様々な分野で手掛けた。得意分野は主にビジネス全般、金融、医学・製薬、IT。夫と息子二人、柴犬一匹と共にフィラデルフィア市近郊在住。