【第24回】駆け出しのころ「人見知り少女、通訳になる」

「私はプロになれるのだろうか」「いまやっていることは本当に役に立つのだろうか」―デビュー前に誰もが抱く不安、期待、焦燥。本連載はプロ通訳者の駆け出しのころを本人の素直な言葉で綴ります。

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通訳者といえば、どんなイメージがありますか?

社交的で話好き、海外に住んでいて外国語がペラペラ…

私も最初はそのようなイメージがありました。でも私はそのどちらでもありません。今でもなぜ通訳をしているのだろうと思うことがあります。

中学生のころ、兄が聴いていたFENの英語放送が歌のようで綺麗だなと思ったり、当時聴き始めたロックやポップスの歌詞が知りたいと思ったり、音から英語に興味を持ちました。英文科に進み、アメリカ人教授のゼミで現代詩を専攻。「文学」を学びたかったわけではなかったのですが、当時、まだ多くの選択肢はありませんでした。

英語を使った仕事がしたいと思いました。言われたことを完璧に訳す(誤解もしていましたが)通訳はできそうに思えず、翻訳を希望しました。貿易や英文事務を含めて多くの企業を受け、最終的に総合メーカーの国際部で翻訳をすることになりました。そこで出会った上司はアメリカ在住15年、海外からの来客にスラスラと応対され、あんなふうにできたらいいなと思いました。職場の仲間の誘いもあり、通訳スクールに通い始めます。多くの宿題が出され、残業もあるなか終業後や土日に通うのは大変でしたが、ともかく通い続けました。

2001年 インドネシアビンタン島で会社の仲間と。筆者は中央

4年間様々な翻訳をしましたが、組織変更があり、アジアを中心とする海外事業の担当になりました。インドネシアに数回出張しましたが、そこには鼻歌を歌いながら楽しそうに働く人たちがいました。身の回りに閉塞感が漂う中、いつしかそこで働きたいと思うようになりました。結婚していましたので1ヶ月考えて家人に相談し、会社に希望を出しましたが、女性の海外勤務は珍しかったこともあり、望みは叶いませんでした。転職の可能性を考えながら、毎週ジャパンタイムスの求人広告を見ていたのですが、ある日、1コマの小さなスペースに、半導体メーカーのインドネシア法人で通訳・秘書募集の文字がありました。一瞬でこれだ!と思い、すぐに連絡を取りました。決死の覚悟で面接に臨んだところ、熱意は伝わり採用されました。「単身赴任とは思い切ったね」とみんなに言われましたが、不思議なくらいあの時、インドネシアに行くしか選択肢はなかったのです。実際には英語通訳・翻訳とマネジメントをさせて頂きましたが、ここで得られた経験は今でも心の底辺を占めています。

市民の地域情報誌 宮っ子 
※ページ18~19を参照

しかし、これは通訳という仕事に関しては、駆け出す前の助走のようなものでした。帰国後、インドネシア関係の仕事を探しましたが簡単にはみつからず、通っていた通訳スクール系のエージェントを訪ねたり、英字新聞の求人広告から通訳の仕事を探したりして、システム導入プロジェクトや、工場や建設現場の通訳をするようになりました。

大阪にあるテーマパークの新アトラクション建設のため、来日した欧米のスーパーバイザーと現場の職人さんとのやりとりを通訳する仕事があります。関西の通訳者は経験された方も多いかもしれません。私は小さい頃から人見知りで、英語圏で生活したこともなく、経験のない分野といういわば三重苦を負い、声が小さくなっていました。現場の音に消されて「もっと大きい声で」と何度も言われました。ヘルメットに安全靴、安全ベルトをつけてキャットウォークを歩きながら、下にあるスクリーンの向こう側の職人さんに叫ぶように通訳したこともあります。あるアメリカ人のスーパーバイザーは温かく、そしてきっぱりと言いました。”When you say it, you mean it.” (本気で言うんだ。) この言葉は今も忘れられません。

2009年 イタリア国立博物館長講演会で

声を何とかしようとボイストレーニングの教室に通いました。ラジオのアナウンサーのもとで呼吸法から発声練習、滑舌のトレーニングを受けるのです。みんなの前でその場でスピーチをする練習もありました。絵本の読み聞かせでは、「春が来ました」の一言を順番に言いながら30分くらい経っていたことも…。その甲斐あってか、マイクを通した声が落ち着いていていいと言われることもあり嬉しく思います。しかし毎日声を出していないと戻ってしまうので、この意味でも音読やシャドーイングは大切だと実感します。

そして性格の部分です。何度も通訳に向いていないのではと思いました。フリーランスになると、リピート案件は別として、基本的に毎回初対面です。みな日々の仕事でその分野に精通され、中には流暢に英語を話す方もいます。そんな中で堂々とコミュニケーションを成立させなければなりません。そのためには、事前にできるだけ多くの情報を得て、調べて準備をすること、そして「伝えるのだ」という強い気持ちを持つようにしています。講演会などでは、短時間でも開始前にスピーカーとできる限り打ち合わせをお願いします。疑問点や話し方を確認しながら、相手との距離を縮めることができるからです。ネイティブのようにしゃべれなくても「この私でいくんだ」と思えるようになったのはつい最近のことです。

中学生の「職業聞き取り学習」の一環として、通訳者についてお話をする機会がありました。私がどうしても伝えたかったのは、「なりたいな、でもなれるかな?」と思うような職業があれば、それはなれるということです。私自身、なぜ通訳をしているのか不思議なのですが、できないと思い込んでいるのは自分自身だけかもしれません。

あるクライアントから言われました。「あなたは余計なことを言わないからいいね。」一瞬、複雑な気持ちでしたが、こんなこともあるのだと思いました。毎回、初めての人に会うたびに自分自身と対峙し、そして自分を変えていけるような仕事。反応の薄い日本の聴衆の雰囲気が少し変わる時、そして「ありがとう、わかりやすかったよ。」と言ってもらえた時。社交的でなくても、ネイティブのように話せなくても、無上の喜びを味わえるこの仕事をやめることはできません。

2011年 ウィーンで開催された整形整骨国際学会で

父の友人に勧められ短歌を始めて6年になります。最近、通訳について詠む機会がありましたので、お恥ずかしながらご紹介したいと思います。

 経緯知り流暢に話す人たちの待ちたるなかにその場所はある

 確かなる光を浴びて放たれし言の葉遠く胸に響かむ

松本 佐紀子(まつもと さきこ) 2002年デビュー

総合メーカー国際部で翻訳・海外事業管理を担当後、半導体メーカーのインドネシア法人で2年間通訳・翻訳・マネジメントに従事。帰国後2002年からフリーランス通訳者となる。医療通訳をきっかけに医療関連(整形整骨、予防医学、査察など)を多く手がける。国連、環境省、経済産業省などによる国際会議・シンポジウム同時通訳、エストニア大使、メキシコ公使他講演会通訳。3冊の出版翻訳に関わる。ヨガ指導者講座を修了、囲碁3段。