【第1回】匂いにまつわるなにやかや「『におい』とは」

はじめに

はじめまして。栗原 友と申します。

現在派遣社員として日英の翻訳・通訳をしています。現職の分野とは一切関係がないものの、某通訳塾で「におい」に関するプレゼンをした数年後、JACI理事に「香りについて書いてみない?」という冗談か本気かわからない提案に、戸惑いながらもその場の勢いで「や〜(長い躊躇い)ります!」と答えた数ヶ月後、今回連載を書くことになりました。

通訳者、翻訳者の方が主な読者ということで、何をどう書いたものかと暗中模索の状態ですが、読んでくださる方にとって香水をしゅっと吹きかけた時のような、ちょっとした気分転換になるような読み物になればと思います。

連載の内容について

この連載は、専門家でこそないもののにおい愛好家が集めたにおいに関する話をまとめたものになります。そもそも「におい」とは、その種類、用途や役割、香りの市場について、においを感じる仕組み、その表現、採集方法、そしてもちろん香水や香道についてもカバーする予定です。

また、各回で参考にした資料を最後に記載する予定です。

ディスクレイマー

本連載中の情報については、可能な限り正確なものをお伝えするよう努めていますが、誤った情報や古い情報をお伝えする可能性もあります。必ずしも正確性を担保するものではありません。

というわけで第1回の今回では、そもそも「におい」とは何か、そしてその用途と香り市場について書いていきます。

においとは

まずはじめに、そもそもにおいとは何なのでしょうか。

まず「におい」という言葉について。現代では嗅覚で感知される刺激について用いられていますが、かつては主に「①色が美しく映えること。はなやかな美しさ。艶のある美しさ」という意味で用いられていました。

動詞の「におう(にほふ)」も、「(草木などの色に)染まる。美しく染まる。」や「つややかに美しい。照り輝く。」と、視覚的意味で用いられました。例として源氏物語や枕草子、そして万葉集に収録されている大伴家持や境部老麻呂による歌があげられます。それが時代が降るにつれて、現在一般的な嗅覚的意味で用いられるようになりました。

言葉としてはそんな変遷を経てきた「におい」ですが、においとは化学物質であり、においを感じる物質のほとんどは動物や生物、微生物に由来しています。そのため、におい成分はこれら生物を構成する元素と共通しています。では、生物はどんな元素から成るのか?多い順に、水素、炭素、窒素、酸素、リン、硫黄、塩素などが挙げられます。

ですが、これらの元素でできた物質の全てがにおうわけではありません。例えば私たちヒトが嗅覚でもって感知するためには、物質が鼻腔に到達するために空気中に漂っていること、つまり常温常圧の環境で揮発性があることも必要です。そのため、におい物質は主に5つの元素、水素、炭素、窒素、酸素、硫黄が組み合わさってできています。

ただ、組み合わさる元素の数が増えるほど揮発性が低くなるため、組み合わせも無限というわけでもありません。具体的には、炭素が20(多くは4-16)、分子量350以下の分子、つまり低分子有機化合物がにおい物質になります。また、炭素原子が8-10の分子が人間が最も心地よい香りを持っており、炭素原子が少ないほど香りは強くしかし早く消え、多いほど繊細でかつ長く香る分子になります。

ちなみに、においのする最も小さい分子はアンモニア(ammonia, 分子量17)、対して一番大きい分子は植物由来だとラブダナム(labdanum)から抽出されるラブダン(labdane,分子量278)、合成だとムスクの一種であるムスクキシレン(musk xylene, 分子量297)と言われています。

ですがさらにしかし。揮発性がありかつ低分子有機化合物に分類される物質全てがにおうわけではありません。詳しくは第2回で紹介する予定ですが、感知する側にこれらの物質を感知するための嗅覚神経系の仕組みが備わっていることも、におい物質であることに欠かせません。

したがって、においとは低分子化合物で常温常圧で揮発性をもち、かつ嗅覚神経系で感知される化学物質と言えます。

においの用途

におい物質から成る香料には、食品用、飼料量、化粧品用、工業用があります。この4つのうち、食品・飲料品用の香料はフレーバー、化粧品用の香料はフレグランスと呼ばれています。フレグランスというと一般的には香水を指しますが、香料業界では香水に加えて化粧品、トイレタリー用品や衣料用洗剤、台所用洗剤などを含む日用品に使用される香料も意味しています。ドラッグストアに並ぶ商品の成分表示を見ていただくと、無香料がPRポイントになるのが頷けるほど、様々な商品に香料が使用されています。

また、香りといえば調香師ですが、調香師といっても多種多様な香料を混ぜ合わせ食料品の香りを再現あるいは補強する調香師はフレーバーリストと、フレグランスを創り出す調香師はパフューマーと呼ばれています。ただしフレーバーリストとパフューマーのいずれも、香料の製法や特性、持続性や残香性などなどといった香りに関する幅広い知識が求められます。

古代エジプトやメソポタミア、古代メキシコなどでも香油や香炉などで香りが用いられるなど、人類がこれまでいかに香りを用いてきたかに関しては、膨大な上どの史実や逸話も捨て難いため、この連載では割愛させていただきます。

ただ、下の参考資料にあげる長谷川香料株式会社の『香料の科学』第1章や、国立歴史民俗博物館の『REKIHAKU 歴史の匂い』が特におすすめです。『香料の科学』では古代〜現代までの人類と香りの日本を含めた世界史の概要が、『REKIHAKU 歴史の匂い』では、主に日中韓における古代から現代までの人間と香りについて書かれています。特に、漢字文化圏の3カ国で香りはどのように用いられてきたのか、そしてかおりとにおいを表す漢字がどのような意味で用いられてきたのか、その変遷ついて書かれている非常に興味深い記事が掲載されています。

におい市場

フレーバーとフレグランスを合わせた世界市場規模は、2021年時点で約250億ドルとされ、内訳としてはおよそ9割を食品・飲料用用香料が、ついで製薬、その他が占めています。また、世界をヨーロッパ、APEC、南米、北米、中東に大別した場合、最も大きいのがAPEC市場です。

フレーバー・フレグランス市場は、今後年間約5%のペースで成長を続け、29年までにおよそ360億ドルに達すると予想されています。拡大の背景としては、化粧品業界の成長や医薬品業界における香料の使用の増加、また食生活の変化があります。

ではどのような香料メーカーがあるのか?世界の主な香料メーカーとしては、Givaudain(ジボダン(スイス、1895)) 、International Flavors & Fragrances((IFF)(米、1958)) 、Symrise AG((シムライズ)(独、2003))、 Firmenich SA(フィルメニッヒ(スイス、1895)) の5社があります。現在この5社が世界市場の50%のシェアを占めています。

一方日本の香料メーカーに目をむけてみますと、売上の多い順に高砂香料工業、長谷川香料、小川香料、曽田香料、そして東洋合成香料等があり、高砂香料工業と長谷川香料の2社でシェア5割を占めています。

香り小話

身近な話があったら楽しいかしら、と思い最後に香りの小話を。

今回は季節を先取りして柚子の香りについて。柚子は英語でもそのままYuzuと呼ばれています。原産地は中国の長江の上流域で、日本には奈良時代に伝わったとされています。柚子の持つ鼻腔がきゅっとなるような寒さを感じさせる、淡い苦味のある柑橘系の香りは、主にリナロール(linalool)やチモール(thymol)、N-メチルアントラニル酸メチル(N-Methylanthranilic acid methyl)、ユズノン(yuzunone)といった成分でできています。

同じ柑橘系でも、レモンの香りはシトラール(citral)、ネロール(nerol)、ゲラ二オール(geraniol)、酢酸ネリル(neryl acetate)、酢酸ゲラニル(acetic acid geranyl)などが主なにおい成分なので、2つとも柑橘類に分類されているといえど大違いですね。

ちなみに、柚子の香りの香水というとDyptiqueのOYEDO、AesopのTacit、NicolaiのEau de Yuzu、Officine Universelle BulyのYuzu de Kizoなどがあります。Jo Maloneからも以前販売されていましたが、現在廃版で現在お試しいただけません(ちなみに廃版になることをdiscontinueと表現するそうです)。

というわけで第1回はここまで。

寒さが厳しくなってくる季節、柚子の香りを楽しみながら暖かくしてお過ごしください。

次回は、ヒトがにおいを感知する仕組みについてを予定しています。

最後になりますが、化学物質の英語は以下を参考にしました。

-JGLOBAL https://jglobal.jst.go.jp/

-IUPAC Standards Online https://www.degruyter.com/database/iupac/html

-ナカライテスク https://www.nacalai.co.jp/index.html

資料

-『全訳古語辞典 第3版』旺文社、2010

-長谷川香料株式会社『香料の科学』株式会社講談社、2013

-平山令明『「香り」の科学 匂いの正体からその効能まで』株式会社講談社、2017 

-Fortunes Busines Insights” Flavours and Fragrances Market Size, Share & COVID-19 Impact Analysis” https://www.fortunebusinessinsights.com/flavors-and-fragrances-market-102329 (2023年10月5日情報取得)

-日経コンパス「香料」2023年09月13日https://www.nikkei.com/compass/industry_s/0070 (2023年10月5日情報取得)

-業界動向サーチ「香料業界の動向や現状、ランキングなどを研究」2022年7月25日 https://gyokai-search.com/3-koryo.html (2023年10月5日情報取得)

おすすめの資料

-国立歴史民族博物館『REKIHAKU 歴史の匂い』出版社不明、2022

-Givaudin Annual Report (ジボダン社のアニュアルレポート。環境問題等同社が抱えるリスクや、企業の様々な取り組みにも触れられていて面白くおすすめです。) https://www.givaudan.com/files/giv-2022-integrated-annual-report.pdf (2023年10月5日情報取得)


栗原 友(くりはら ゆう)

大学卒業後、事務兼翻訳の派遣社員に。現在は通訳・翻訳として小売企業勤務。趣味はラジオ、散歩、読書、美術館・博物館・植物園巡り。

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