【第6回】通訳翻訳研究の世界~翻訳研究編~翻訳プロセス研究とは

この連載の「翻訳研究」を担当している関西大学の山田優です。今回は私の研究の関心のひとつである「翻訳プロセス研究」についてお話します。

訳出行為と翻訳的行為

翻訳プロセスとは、狭義では、翻訳者が起点テクスト(原文)をもとに、別の言語の目標テクスト(訳文)を産出する認知活動になります。平たく言えば、原文を読みはじめてから、訳し終わるまでの翻訳者の頭の中の活動です。翻訳者が実際に翻訳をしている最中の過程であり、これを「訳出行為(translational action)」と言うことがあります。これに対して、もっと広い範囲でアクションを含む翻訳プロセスもあります。実際の翻訳はクライアントと打合せをしているところから始まっているかもしれませんし、ローカリゼーションのように数十言語に翻訳するプロジェクトでは、原文執筆の段階からスタートしているかもしれません。このように、翻訳を取り巻く人々とのやり取りも翻訳プロセスになります。こちらは、前者と区別して「翻訳(者)的行為(translatorial action)」と言うことがあります。翻訳する場合は、どちらも大切なプロセスで、研究の対象になります。前者は、翻訳の内的・認知的な活動を観察するものが多く、後者は翻訳と翻訳者をとりまく社会学的研究があります。

私の今の研究は、前者の訳出プロセスの認知的活動の研究が中心ですので、以下ではその関連研究をいくつか紹介します。

ヴィネイとダベルネの翻訳プロダクト分類

私たちはよく、翻訳の方略について、直訳や意訳のような言い方をすることがあります。翻訳プロセス研究も、翻訳方略の分類からスタートしました。ヴィネイとダベルネはフランス語と英語の比較文体論分析をベースに翻訳方略について説明した書を1958 年に出版しました。網羅的に翻訳のノウハウを説明した同書は、今でも非常に影響力をもっています。中心概念は、訳出物(プロダクト)に基づく訳出方略の分類です。興味深いのは、翻訳者がどの方略を採用するのかを決定する上で、「奴隷(義務」と「選択」の2 つのパラメータが存在することです。

「奴隷」とは、原文と訳文の言語体系の違い(文法の制約等)による義務的な変換で、翻訳をする上で最低限必要な操作となります。この変換ができていない場合は翻訳エラーとみなされます。「選択」は、翻訳者自身のスタイルと好みによる非義務的な変更です。翻訳が上手か否かは、適切な「選択」の方略が使われているかどうかによります。むろん、その場合も、「奴隷」変換が完了していることが必要条件です。端的に言えば、直訳と意訳のような方略のうち、まず翻訳者は「奴隷(義務)」的な直訳は絶対に行わなければならず、それが完了してから「選択」的な翻訳方略を適応すべきと、言うわけです。

見直して修正する「モニタリング仮説」

さて、上でみたように翻訳者は、翻訳方略の中から適切な方略を選んでいるわけですが、逆に言うと、翻訳プロセスとは、適切な方略を決定する過程であるとも言えるわけです。私たちが、翻訳するときを考えてみましょう。原文を読んで理解してから翻訳をしますが、原文を理解できたからといって、適切な訳語や訳文にすぐに辿り着けるとは限りません。訳文を見直して、何度も何度も、修正を繰り返すでしょう。次のような英文の和訳をする場合を考えてみます。

  They engage in relentless product dumping …

最初に、私たちは暫定訳として「彼らは執拗な製品の投棄に従事し…」のように、やや直訳を行うかもしれません。その後で、「彼らは容赦なく製品のダンピングに肩入れし…」のように修正をすることもあるでしょう。

「engage」の訳に着目すると「従事し」→「肩入れし」のように修正されるわけです。

この暫定訳→最終訳の操作の修正履歴をすべて記録すると、訳語の変化を見ることができます。翻訳プロセス研究では、Translogというソフトウェアを使って、実際に分析する研究が多くあります。関連研究の1 つに「モニタリング仮説」があります。これによると、翻訳者は訳文をコンピュータに入力した直後に、自らの暫定訳を見直して(モニタリングして)、それを修正する操作を非常に頻繁に行っています。修正内容のおよそ40% が、直訳から意訳への書き直しであることもわかりました。「モニタリング→修正」という操作は、言語距離が近い組合せの翻訳ほど、頻繁に観察されることもわかっています。

では、なぜこのような操作が頻繁に起きるのでしょうか。これは、私たちの脳内の作動記憶容量(≒短期記憶容量)と関係しているようです。翻訳者が暫定訳をする段階では、翻訳者は、原文と訳文を一対一で対応付けして、訳抜け防止のないように直訳を行っています。この作業に多くの認知的リソースを要するのです。そして、直訳が完了したら、今度は、その訳文の読者として、暫定訳の内容や文体を確認して修正します。このように二段階で作業をすることで、一度にやらなければならない認知負荷を分散させることができます。つまり、翻訳者は、暫定訳をパソコンに一度入力してから、それを見直して(モニタリングして)から修正することで、直訳と意訳のそれぞれの作業に必要な認知リソースを確保している、そのための方略がモニタリングというわけです。

認知的・脳科学的アプローチ

さらなる謎を解明するために、筆者は、「直訳」をしているときと「意訳」をしているときの脳内活動の違いを調べてみました。ちょうど、モニタリングの前後での操作の違いということになります。話を簡略化すると、「直訳」をしているときは、左脳ウェルニッケ野(LH BA22)の活性化が顕著だったのに対して、「意訳」をするときには、左脳ウェルニッケ野(LH BA22)に加え、左脳ブローカ( LH B45)、右脳中側頭回(RH BA21)など複数の部位の活性化が観察できました。

厳密にいうと、実験において「意訳」をしてもらう代わりに、比喩表現や皮肉表現を翻訳してもらった訳なのですが、この結果の解釈としては、直訳を行っている脳は、比較的シンプルな言語的操作しか行わず、意訳では左脳に加えて右脳も活性化しており、「意訳」をするときの脳は、より複雑な、認知負荷の高い処理をしているのです。

まとめ

以上のように、翻訳方略の分類から始まった翻訳プロセス研究は、認知的な活動の謎に迫るべく、今は脳科学的な分析も進んでいます。このような研究を通して、筆者が今後解明したいと考えているのは、たとえば、ポストエディットと普通に翻訳をしたときでは、脳科学的な行動は異なるのかどうか、翻訳と外国語を操ることは認知的にどう違うのか、といった問いです。しかし、このようにして研究が進んだとしても当面は解明できない翻訳の謎が残されると思うのです。筆者は、その未解明の部分こそが、人間のプロ翻訳者として、もっとも重要な部分になりうる可能性があると信じています。

参考文献
Englund-Dimitrova, B. (2006). Segmentation of the writing process in translation: Experts versus novices. In K. Sullivan, & E. Lindgren (Eds.), Computer key-stroke logging and writing: Methods and applications (pp. 189-201). St. Louis: Elsevier.
Tirkkonen-Condit, S. (2005). The monitor model revisited: Evidence from process research. Meta, L(2), 405-414.
Vinay, J-P., & Darbelnet, J. (1958/1995). Comparative stylistics of French and English: A methodology for translation (J.C. Sager, & M.-J. Hamel, Trans.). Amsterdam: John Benjamins.

関西大学外国語学部 山田研究室

翻訳通訳教育ポータル

通訳翻訳研究に関するイベント情報はこちらをチェック!

国内外の大学などで開かれている通訳翻訳分野の講演会や研究会の情報を集めたウェブサイトです。大学や学会に所属していなくても参加できるものも多数あります。


山田優(やまだ・まさる)

関西大学外国語学部/外国語教育学研究科教授

立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科博士後期課程修了、博士(異文化コミュニケーション学/翻訳通訳学)。社内通訳者・実務翻訳者を経て、最近は翻訳通訳研究に没頭し、2015年より現職。研究の関心は、翻訳テクノロジー論、翻訳プロセス研究、翻訳通訳教育論など。日本通訳翻訳学会(JAITS)理事。