【第29回】自動車業界の通訳

桂田アマンダ純さん

update:2017/12/01

「日本の自動車業界」と聞いて、皆さんが思い浮かべるのは何でしょうか。私の場合、小学生の時に教科書で見た「延々とコンテナ船に積み込まれる乗用車」「絶え間なく動き続ける工場のライン」といった写真でした。社会科見学も地元の自動車工場。国の経済を支える基幹産業のひとつであり、2015年度の世界市場においてはトヨタが名立たる欧米メーカーを退け販売数・売上においてトップとなりました。日本の自動車業界は、研究開発・製造などすべてのプロセスを元々国内で行っていたため、培ってきたノウハウもトップレベルを誇ってきました。技術立国日本をもっとも総合的に体現しているのが自動車産業なのではとも思えるほどです。

グローバル化が進む中、内需が強かった時代からすでに数多くの海外企業とも様々なレベルで提携などしてきたこともあり、通訳のニーズは昔から安定しています。裾野が広く伝統的な分野とも言えることから自動車業界で通訳をされてきた方は多く、専門性も異なると思いますので、若輩の私はまず日本の自動車メーカーはそもそも具体的に何をしているのか、自分の経験をもとに「自動車業界で通訳をすること」を織り交ぜつつご説明できればと思います。

自動車業界での通訳を始めた理由

まずその前に、そもそも私がなぜ自動車業界で通訳をするようになったかをご説明したいと思います。自動車の深い知識があったわけではなかったのですが、会議通訳修士号(MACI)を取得後、ちょうど日本の大手自動車メーカーのアメリカ法人が社内通訳の募集をかけており、徹底的に通訳スキルを磨くために一日中通訳していられる環境が欲しかったことと自動車開発に興味があったので応募しました。「知識はこれから」と採用していただけたのは大変ありがたかったです。その後フリーランスとなりましたが、そこでついた知識を活かし、現在でも主に自動車業界で通訳を続けています。

さて、ひとくちに「自動車業界」といってもいろいろあります。まずは市場に出ている日本車の完成車量産メーカー(トヨタ、日産、ホンダなどなど)。それら完成車メーカーが部品などを購入する部品メーカー。そして部品メーカーが使う二次メーカー、電子部品メーカー、材料加工業者、試作品メーカー…ピラミッドのすそ野は限りなく広いのです。日本の就業人口の約一割が何らかの形で携わっているという説もあるほど!通訳として入っていくのが最も多いのは、恐らく「完成車メーカーの社内会議」、次いで「完成車メーカーと部品メーカーの会議」でしょう。グローバル化している大手メーカーでは海外法人との会議が多く、また取引先が海外企業ということも多いので通訳を必要とする会議は多いのです。

研究開発・製造を行っている完成車メーカーで通訳をする場合、通訳として対応する内容は星の数ほどあります。研究開発(後述)、製造(同上)、特許会議、新車発表会などのプレスイベント、経営会議などなど。特に研究開発は材料開発、環境適合性(法規)、機械工学、電気工学、デザインなどの分野にまたがり、これだけでもなかなかの幅があります。

車を作る際は、まずどんな車(いわゆる市場で見る姿のモデル=車種)をどのように作るか、いつ市場に出すのか、出していく市場はどこなのかといった大枠のコンセプトを決めます。そのコンセプトを満たす車とはどういった部品(エンジンなど)を使うのか、内装や外観のイメージはどんなものであるべきか、コストや目標小売価格はどう設定するかなどが決められます。

そしてそのコンセプトに沿って開発して行き、工場で量産し、市場でお客様の手に渡っていきます。コンセプトによっては既存モデルのアップデート程度のためごく短期間でできるものがある一方、特殊なモデルがあるとその数倍かかることも。日本の自動車量産メーカーは多くの車種を抱えているので、常に複数の開発を並行して行っているのです。

ときには未開発の技術についての理解も必要

実際に自動車を設計・開発していく研究開発プロセスの中においては、通訳は部品ごとの設計内容やそのために使うプログラムやツール、不具合に係る現象の用語など、また、基本として「その部品がなんのためにあるか」を知る必要があります。これらは仕事の中で専門家に確認したり本を読んだりして自力で勉強し、また対訳も学びます。既存の技術とはまた別に、まだ存在しない技術の開発やコンセプトに触れることも多いでしょう。「今まだ存在しないけど〇年後には使える技術にしたい」といった未来的な開発などの話になるとまだ存在していない材料や技術の話になるため、インターネットを調べても何もわからない…ということがほとんど。この場合はその担当者とひたすら話し合って内容理解に努めますが、仮の対訳にならざるを得ないことも多いのです。

ちなみに近年特に自動車業界では環境と安全技術がとても大きい部分を占めているため、それらに関する世界中の法規の情報や安全を確立するための技術(特にセンサー類)の話が多くなっています。エコなクルマにするために二酸化炭素排気量はこれだけ減らしたい、そのために燃費をこれだけ良くしていきたい、だからこういう空力改善・燃費改善技術を入れていく必要がある…と、すべてがつながっています。

また、品質保証も非常に重要なトピックで、市場で不具合を出した場合どういった措置をとるのか、また再発防止はどうするのか、そもそもどのように防ぐのかなど、これまた狭く深い内容があります。こういったハードな技術系がある一方、デザインに関しては色合いや雰囲気を表すクリエイティブな表現やトレンドに関する「ソフト」な情報が多く、抽象的な表現が多用されます。

これら幅広い内容に日常的に対応している通訳にとってはなかなかハードな脳の筋トレと言えますね。研究開発プロセスの中で取り組まれた内容は試作品などを作って検証を繰り返し、量産して市場に出しても不具合を出さないことなどを確認してから製造に移っていきます。

知識を深めやすい製造関連

全体プロセスの中での次の段階は、製造です。研究開発段階のみならずここでも早い段階から企画内容に沿った検証や確認が行われ、OKとなると実際に工場のラインで部品を作ったり自動車一台分として組み立てていきます。ここでは材料や製造工程、設備、品質保証、梱包、ロジスティクスなどが会議の内容になっていきます。より現場的なので、実際にモノを見て研究開発段階で見た図面の内容を実感でき、知識を深めやすいのではと個人的には思います。ここで出来上がったものが国内のディーラーや海外発送のためコンテナなどに積まれ、世界中のお客様の手に渡っていきます。

自動車製造に直接に関係する部分以外にも、数多くの会議が通訳を必要としています。企業としての経営会議では決算内容、株主や投資の話、長期戦略など、ビジネスに特化した内容を、購買・調達部門は材料や部品の調達、及び各種契約に関する内容を、そしてさらにその他の間接部門(人事など)も、場合によっては通訳することがあるでしょう。

通訳モードは、社内・フリーランスを含め自分のこれまでの経験ですと基本的に同時通訳(パナガイド使用)、まれにウィスパリングです。事前に資料や情報をくださることが多いのは、さすが通訳を使い慣れている業界だからでしょうか。特許関係など弁理士・弁護士が絡む場合は逐次通訳が多い印象です。

幅が広いからこそ、参入しやすい!

「通訳をする上ではまず背景知識」ということで自動車業界の説明をさせていただきましたが、ずいぶん規模の大きい話になってしまいました。自動車業界で通訳してみたいと思いつつ読んでくださった方は「幅が広過ぎるし、どう入っていけば良いかわからない」と思われるかもしれません。でも、実は幅広いからこそ入っていきやすいと私は思います。たとえば、別の業界であっても製造関係の通訳経験があれば、自動車とはいえラインでの量産というコンセプトは基本的に変わりません。また、薬品系・材料系の経験があれば、デザインや材料開発部分の難解な技術会議は対応しやすいでしょう。経営会議に関しては自動車の技術的な内容はそれほど多くないため、最も入りやすいのではないでしょうか。もし自動車業界の通訳もやってみたいという方は、エージェンシーに対しそのような説明をしてみるのも良いかもしれません。そこから新しい扉が開けるかもしれませんよ!

桂田アマンダ純さん

Profile/

フリーランス会議通訳者。大手ゲーム会社の社内翻訳者を務めたのちに2003年にフリーの道へ。2010年にはモントレー国際大学院(現ミドルベリー国際大学院モントレー校)にて日英会議通訳の修士号(MACI)を取得。

大手自動車会社のアメリカ研究所における社内通訳を経て再びフリーランスに。2015年より日本で活動中。専門は自動車・自動二輪・先進技術。趣味はモータースポーツ観戦。