【第2回】トップの通訳「外国人エグゼクティブの日本企業訪問―準備編」

皆さん、こんにちは。当初は非日常と思われた巣ごもり生活が、だんだんと日常化し、昨秋の繁忙期からは想像できない毎日となりました。いつでも戻れるように体力維持!と思い、時々思い出したように筋トレをしています。先日、RSIプラットフォームを使った同時通訳にも挑戦しました。図らずも時間ができたこの時期、私たちの業種にテクノロジーがどのように入り込んでいくのかを見据え、仕事の進め方も柔軟に変えていきたいなと、試行錯誤してみる今日この頃です。

本連載では、外国人社長付き通訳の仕事についてご紹介しています。今回は、社長を含む外国人エグゼクティブの日本企業訪問の通訳準備について見ていきたいと思います。

外国人社長が、日本企業や関連省庁、経済団体などを訪問する際、多くの場合に通訳者が同行します。外資系企業の中には、本国の親会社からCEOをはじめとするエグゼクティブチームが定期的に来日して、日本企業を訪問することもあります。この場合もホストである社長と共に、通訳者が同行することが多いと思います。エグゼクティブの訪問ですから、訪問先からも重役が出席します。訪問スケジュールの中には、関西数都市を1日で巡り、ディナー懇親会を終えて深夜に東京へ移動、翌朝から都内各所を訪問するなど、ハードな行程もありました。限られた時間で多くの面会予定を組むところは、IR通訳における投資家のビジットにも似ています。世界を飛び回るエグゼクティブのタフさと、集中力の高さには驚くばかりです。

取引先訪問を例に挙げて、私が行っていた通訳準備をご紹介したいと思います。

まずは、訪問の目的を確認します。表敬訪問なのか、特定の情報を得たいのか、新しい提案があるのか、意思決定を伴う会議なのか。目的を把握することで、会議の出席者が目指すゴール、つまり会話の方向性を予測することができるようになります。30分や1時間といった短い時間で、出席者はできるだけ多くの成果を得たいと考えます。会議の中では、「コミュニケーションの質は落としたくないが、通訳を待つ時間はできる限り短くしたい」という出席者の本能的なニーズを感じることがあります。通訳者が大きく方向性を外すことなく、簡潔に効率良く訳せることが、ここでは高く評価されるのではないでしょうか。社内の実務担当者からブリーフィングをしていただけると、効率良く情報を得られます。また会議中に使用する資料があれば、事前に入手しておきます。

次に訪問先企業のウェブサイトを確認します。会社概要や製品・サービスなどを見ていく際に、事前に訪問目的を把握しておくと、必要な情報が頭に引っ掛かりやすくなります。会社紹介や、製品紹介の動画をウェブサイトに掲載している企業も多いので、動画をウイスパリング練習に活用することもできます。訪問先企業の社長が会議に出席する場合は、社長メッセージにも目を通し、役員紹介のページで、出席する役員の経歴を確認します。たとえば技術系の経歴を持つ方の発言が予想される場合は、製品技術関連の用語が出てくる可能性があるので、技術用語も振り返っておきます。また中小企業の創業者兼社長は、創業当初のことや会社の歴史を紹介することもあります。時間があったら創業年やどの事業で創業したかなど、沿革も少し見ておけると安心です。

訪問先企業の概要を確認したら、自社との取引についても把握しておきます。最近の取引額と推移、現在取引している製品やサービス、今後取引を成長させたい製品やサービスなどの情報です。またニュース記事も検索しておくと、その企業の最新動向を知ることができます。

トップ同士の面会の特徴は、プロジェクトを進めたり、取引の詳細を議論したりする実務担当者の会議と異なり、内容が非常に幅広く、トピックが多岐に渡ることだと思います。特に業界をリードする大企業の経営者は、トップ同士の面会で足元の状況を語ることは、あまりないように思います。業界の未来、世界各地域の経済や事業の動向、各国の政策、グローバルメガトレンド、イノベーションへの取り組みなど、幅広く意見交換や議論がなされます。予測不可能な内容が多いので、通訳者としては冷や汗をかくこともありますが、リサーチしたトピックが出ると、山が当たったようで嬉しくなります。取引先訪問の準備では、ルーティンを作って基本情報をできるだけ効率的に集め、知識を広げるために時間を多く取ると良いのではないでしょうか。

私が勤めた会社の中には、実務担当者が訪問先の基本情報をA4シート1枚にまとめてくれる、神のような会社がありました。もちろん通訳者のために作成してくれるわけではなく、社長やエグゼクティブへのブリーフィング資料なのですが、実は通訳者が一番助かっていたかもしれません。今でも企業クライアントの案件準備では、似たような形式のメモを自分で作成して、その企業の情報を把握するようにしています。

さて、準備として訪問の目的を把握すると書きましたが、実際の訪問では、自社と訪問先企業の目的や思惑が必ずしも一致しないことがあります。その点については、実践編として次回改めて触れたいと思います。今月も元気でお過ごしください。


菱田奈津紀(ひしだ なつき)

会議通訳者。2004年に通訳者デビュー。2005年より1年間アメリカ・ロサンゼルスへ留学し通訳訓練を受ける。その後10年の社内通訳を経て、現在はフリーランス。社長付き通訳や秘書の経験を活かし、政府関連や産業分野で広く活躍。得意分野は製造、流通、国際協力、テクノロジー、医療機器など。東京在住の2児の母、趣味はバレエ鑑賞。