【第9回】駆け出しのころ「汗かき恥かき訳そうよ」

「私はプロになれるのだろうか」「いまやっていることは本当に役に立つのだろうか」―デビュー前に誰もが抱く不安、期待、焦燥。本連載はプロ通訳者の駆け出しのころを本人の素直な言葉で綴ります。

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私が通訳者になりたいと思ったきっかけは、地元の外国語大学3年時のボランティア通訳体験でした。あるスポーツイベントでチーム付き通訳をしていたのですが、大会数日前にユニフォームが届かないという事態が。このタイミング?と思いながら一生懸命に対応策の協議をサポートしました。この体験が本当に楽しくてこれこそが私の天職に違いない!と(今思えばとても楽観的に)思い込んだのです。

その後は大学の通訳クラスの先生に相談し、MIIS(現ミドルベリー国際大学院)への進学を決めて、数年後に渡米しました。MIISでは2年間にわたりみっちりと通翻訳の訓練が行われます。来る日も来る日も先生や同級生から訳漏れ、意味のずれ、用語の選び方などの指摘を受け続け、自分の通訳のテープを聞き、あまりのヘンテコな声に落胆しながら過ごす2年間です。授業の前日にサザエさん症候群のように決まって具合が悪くなる学生も一人や二人ではありませんでした・・・。

ある時自分の伸び悩みを感じ、ある先生に相談に行った時こんなやりとりがありました。

私:いくら練習しても上達の実感がなく行き詰まっています。どうしたらよいでしょうか?
先生:ともこちゃん、簡単よ〜。まず片方の言語で聞くでしょう。で、その内容をイメージするでしょう?で、それをもう一つの言語で出せばいいのよ〜。

この先生はアメリカ人と日本人のご両親を持つ方であり、ゆえに日本生まれ日本育ちの私とは違うなぁと思ってはいましたが、このコントのような返事に、心の中で激しくズッコケましたよ!(その時は「うーん」と思いましたが、今となってはとてもいい思い出です。)

大学院には相談できる先生や旧友はいましたが、最終的には悩みや葛藤も自分で乗り越えるしかありません。時間を惜しんで同時通訳(同通)の練習をしていたので、ベッドでテープレコーダーを回したまま寝てしまう事もしばしばありました 。また、ある年の冬休みに帰国しないことになり、毎日家で10時間以上英字新聞の音読をしていた事もあります。本当に寝ても覚めても通訳のことばかり考えて、夢の中でも通訳をしていました。(これ、今でもたまに起きますが、目覚めたときの疲労感といったら!)

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(写真:白い作業着が制服だったホンダ時代)

そんな2年が過ぎ、卒業後はアラバマ州のホンダの工場で社内通翻訳者として働き始めました。初日のことは今でもはっきりと覚えています。配属された新機種部門主催の各部門の代表が集まる定例会議で、「とりあえずやってみて」と言われ同通を開始。ちなみに私はホンダに就職するまで自動車に何の興味もありませんでした。隣の駐在者に単語などを教えてもらいつつ、額に汗かき同通を1時間半ぐらいしました。自動車の単語はもとより、内容も参加者も全てが初めてで、分からないことだらけです。しかも初めての通訳の現場。疲労感と「全然できなかった」という気持ちでグッタリしていました。

ところが 機材を片付けて自分のオフィスに帰ると、アメリカ人のマネージャーが親指を立て、白過ぎる歯を見せながらこう言ったのです。”You rock!!” 「えー?!あれで??」現場は学校よりも簡単かもしれないと思わずニヤけてしまいました。もちろん合格点とは言えない通訳でしたし、初日からしょげさせても良くないとの気遣いもあったでしょう。それでも何とも言えない安堵感が押し寄せたのも事実です。(ですが15年通訳を続けてきて「現場の方が簡単」などとはもちろん口が裂けても言えません!)

慣れない片道40分の車通勤と頭をフル回転させる毎日で、帰宅後は少し休むつもりがそのまま数時間寝てしまうような日々を過ごしていましたが、それと同時に通訳ができる悦びで、熱に浮かされたように来る日も来る日も夢中になって訳を出していました。少し慣れてきたかなと思い始めていた入社3ヶ月後のある日のことです。デスクで翻訳をしている時にある会議に急に呼び出されます。社内会議だということ以外は内容も参加者も分かりません。しかもすでに始まっている会議です。正直嫌だなぁと思いながら入ってみると、組立部門の会議でメイン話者は現地アラバマ出身の社員です。必死に聞き取ろうとしますが何を言っているのかさっぱり分かりません。冷や汗がどっと吹き出します。聞き返しても全く同じ訛りと調子で繰り返します。しまいにはあまりにも分からないので、言いたいことを筆談してもらう始末。その時の日本人参加者にこう言われました。

「 あんた通訳でしょ?何でこの人が言ってること分からないわけ?」

もう本当におっしゃる通りです。本当にキツかったです。私はたまたま訛った人が少ない間接部門に配属されていましたが、会議によって現場の人も来るのでその度にドキドキしていました。失礼ながらとても同じ英語には聞こえないのですよ!いろいろな訛りを聞いて訳さねばならないのも通訳者の宿命ですね。

そうそう、米国南部の訛りは母音の発音も変わります。ある日の会議でのことです。アメリカ人は「スパーイス、スパーイス」と何度も繰り返すのです。私は「??自動車の話なのに??」としばし大混乱。しかし蓋を開ければ彼が言いたかったのはspaceだったのです。びっくりするほど平易な単語でした。このように簡単なはずの単語が理解できない時は本当に撃沈した気分になります(爆)。訛りに関してはすぐに対応できるようになるわけではなく、ひたすら慣れるしかありません。当時はアラバマの人と話して慣れるように心がけていましたし、現在は東京で仕事をしていますが、英語ニュースを聞く際に、聴き慣れたアメリカのものだけではなく、多彩な英語が聞けるBBCなども聞くようにしています。

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(写真:パリで開催された某業界の世界大会にて)

これまで会議が終わって完璧な通訳ができたと思ったことはないですが、でも完璧に訳すという野望を持って続けていくのでしょうね。いつの頃からか、あの時先生が言っていた、イメージを捉えてそれをもう一つの言語で出すという感覚が理解できる瞬間がたまーにですが訪れるようになりました。とても嬉しい瞬間です。これからも汗をかき、恥をかきながら自分の天職だと感じるこの仕事を続けていきます!

古賀朋子(こが ともこ) 2004年デビュー
某英会話学校で主任講師などを務めた後、2002年に渡米。モントレー国際大学院(現ミドルベリー国際大学院)にて会議通訳修士号を取得。ホンダのアラバマ工場で社内通翻訳者として勤務。2010年に帰国後、製薬会社、損害保険会社、MLM企業の社内通翻訳者を経て、2020年1月よりフリーランス通翻訳者に。専門分野は自動車、製薬、保険。現在、市場調査、芸能、マーケティングなど守備範囲を拡大中。