【第5回】駆け出しのころ「変わり種の通訳者」

「私はプロになれるのだろうか」「いまやっていることは本当に役に立つのだろうか」―デビュー前に誰もが抱く不安、期待、焦燥。本連載はプロ通訳者の駆け出しのころを本人の素直な言葉で綴ります。

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「この人、カッコイイ! 俺もこの人みたいにペラペラ喋りたい!」当時12歳の少年はテレビに映るその人を見て、通訳という仕事を知り、通訳者になることを決意しました。そこに映っていたのは、ある有名なハリウッド映画のスターの早口な英語(その当時はネイティブスピーカーが早すぎて全く分からず)をスラスラと日本語で話していた女性通訳者。いや、正確には字幕翻訳者で、このハリウッドスターの通訳も担当しているの方の姿でした。私が通訳者になろうと思ったきっかけはこれです。実にミーハーな人間でした。

さて、通訳者になるにはどうしたらよいのだろうと思った私は、とりあえず英語の勉強を始めました。その後、大学に進学した私は留学を経て、ある程度は英語によるコミュニケーションができる状態になりました。留学中には通訳・翻訳の理論と実践のクラスを受講していたので、通訳スキルも多少身につけていました。

大学を卒業後、食品メーカーに就職しました。新卒で通訳業務がある求人は無論なく、とりあえず就職して社会人経験を積んでから通訳業務がある仕事に転職することにしました。当時この食品メーカーは海外出店を計画していたので、「海外出張等で通訳同行するかも!」という甘い考えで就職したのでした。その後、紆余曲折有り1年足らずでこの会社を辞めてしまうのですが、まだ第2新卒の範囲内ということもあり、既卒求人と並行して通訳業務がある会社で第2新卒の求人も積極的に探しました。社会人経験が少なかったために条件が限られていましたが、幸いなことにそんな私でも採用してくれる業界がありました。それが、今の私の主な通訳分野であるIT(情報技術)です。私は「IT業界で専門知識を身に着ければ、将来通訳者としてだけでなく、エンジニアとしても生き残ることができる(つまり、生活に困らない)」と考え、未経験ながらもIT業界に飛び込みました。

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(写真:通信会社勤務時代。筆者は写真左から2番目)

中小IT企業に転職した私に早速、初めての通訳の依頼がありました。無論、実務経験はなかったのですが、「英語でのコミュニケーションが可能」という理由で客先の埼玉に1週間出張することになりました。入社してまだ3日目のことです。通訳内容は客先に納品されている機械(ドイツ社製)の新工場への移設と、新しいパソコンでのLINUXのアプリケーションの運用方法に関するものでした。出張前日に機械の英語マニュアルの配布と、各ワークステーションの名称や機能の概要に関する説明だけ受けて、そのまま埼玉に向かいました。もちろん、移動の新幹線内では分からないなりにマニュアルをひたすら読み込みました。

通訳業務当日、現地には自社側から上司を含む先輩社員4人に加えて、機械メーカーから派遣されたフランス人のエンジニアがいました。まずエンジニアが機械の状態確認をしたのですが、この時に大阪本社から来ていた先輩に「とりあえず、言ったとおり訳してくれる?」とお願いされたので、指示通り私はエンジニアの発言を逐次通訳していきました。とはいえ入社してまだ3日目。右も左もさっぱり分からないため、エンジニアが使う専門用語の意味が分からず、文字通り直訳するしかない。先輩社員も理解できずイライラする場面もありました。それでもエンジニアに確認しつつ、たどたどしくも何とか午前中は無事乗り切ったのでした。

この調子でなんとか乗り切ろうと午後の仕事にとりかかると、自社の社長と顧客側の社長が突然、現場の様子を見に来ました。想定外です。しかも私は社長に呼ばれ、「この子、TOEICの点数が900点で、英語が堪能なんですよ」と周囲の期待値がかなり上がるような紹介をされてしまったのです。ここでリズムを崩されてしまった私に、さらなる災難が待っていました。

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(写真:IT関連企業に勤務していたころ会社で取り扱っている製品の社内トレーニング(ドイツ)の時の写真。筆者は右から2番目)

午後は新工場への機械の搬入と、新しいパソコンへのソフトウェアのインストール作業でした。機械の搬入後、動作確認時に逐一顧客に報告することになり、先方の社長と担当者に通訳していきました。

午前と同様、エンジニアが使う専門用語やフランス語訛りの英語に苦戦を強いられたのですが、午後はこれに顧客側、特に社長の質問が加わって負担は倍増。加えて、途中で自分が全く知らない機械のトラブル対応に関する電話があり、電話越しでエンジニアの通訳をしたのですが、もうこの時点で頭の中は大パニックでした。正直、泣きべそをかきそうになっていました。

このような状況でも英語がわかるのは私しかいなかったので、知らない単語や説明はエンジニアに何度も確認し、冷や汗をかきながらも必死に通訳しました。途中、機械の搬入に使用するフォークリフトの寸法が機械の幅に合わないトラブルがあり、エンジニアと喧嘩になったりしましたが、何とか1週間の客先業務を全うしました。先方の社長さんからも「やっぱり英語わかって話せるのはすごいですね!どうもありがとうございました!」と言っていただき、特に社内からも私の通訳に対するクレームはありませんでした。いま思えば、通訳学校を修了しているわけでもなく、入社して3日の新米社員がそもそもよくやったな、という感じです。

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(写真:チームメンバーとの飲み会時の写真。筆者は写真左奥)

しかし、この「自分しかいない。だから、この業務を完了するためには自分が何とかするしかない!」という意識があったからこそ、その後の通訳業務においてもなんとか踏ん張って来られたのだと思います。そして何より、通訳を聞いていた方から「佐々木さんの通訳を聞いて、やっとあの機能の意味がわかりました」や「通訳してもらって助かりました」などと言って頂けたときは本当に通訳のやりがいを感じます。

今でも未熟な、ほぼ駆け出しの通訳者ですが、これからも誰かと誰かをつなぐ「架け橋」となれるように頑張ろうと思います。

佐々木勇介(ささき ゆうすけ) 2014年デビュー
1991年岡山県生まれ。大学卒業後、IT関係の会社でOSや関連機器のトラブルシューティングや問い合わせ等のヘルプデスク及び業務の一環で通訳翻訳業務に2年程従事。2017年に現職の通信会社に転職。波長分割多重伝送(WDM)の装置の運用・保守と外国人エンジニアの通訳に従事。