【第26回】駆け出しのころ「イルカを通訳してみて分かった1つのこと」

「私はプロになれるのだろうか」「いまやっていることは本当に役に立つのだろうか」―デビュー前に誰もが抱く不安、期待、焦燥。本連載はプロ通訳者の駆け出しのころを本人の素直な言葉で綴ります。

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初めての大型通訳案件の後、「クリス見てあげるよ」と声をかけてくれたスピリチュアルな依頼主に「前世」を見てもらった。どうやら前世では戦場で相当やらかしたらしく、その代償として現世のテーマはなんと「痛み」。大学出たばかりの希望に満ち溢れる若者にそれ言う!?ヒーラーの方ですよね…と、笑い飛ばすしかなかった。これまで痛みはあらゆる手を使って避けてきたし、これからも避け続ける気満々だった。当時20そこそこで相当フラフラしていたが、「痛みは最小限に」この一点に於いては人生の方向性に確固たる、ゆるぎない信念を持っていた。その時は。

Rewind selectah! テープをギューッと巻き戻そう。東京生まれヒップホップ育ち、マイミクな奴はだいたい友達だった駆け出しの頃。当時ラップ以外特に何の仕事にも興味がなかった私は哲学、文学、音楽のつまみ食いスタイルでハワイ大に通っていた。昼はキャンパスへ、そして夜はクラブ。週末はサーフィンして、スタジオで録音してパーティ。つまり良くいるアホ大学生の生活を謳歌していた。

ホノルルのジャズクラブDragon Upstairsにて当時組んでいたバンドとのライブ

そんな中、卒業の為に外国語の単位が必要だとかそんな理由で日本語のクラスを受けることに。テストを受けると、なんと一番レベルの高い日本語クラスに飛び級(日本語ネイティブなので当たり前)。授業ではギャグマンガの金字塔「クロマティ高校」の英訳や、アングラヒップホップをバチバチに無理やりライムさせた和訳など、自由な翻訳課題の取り組みが許されていた。こういう楽しい事をやると大体成績が恐ろしいことになるよね、と思っていると意外にも評価はA。粋で懐の深い先生であった。脱線するが、数年前アートの授業で掘っ立て小屋を建築する動画を最終課題として提出し、「お前のために言うけど芸術の道をなめんな!」と一蹴&D評価を受けていた。それからは事あるごとに「大学のシステムは僕には狭すぎるのさ」とスナフキンの声で言うことで精神のバランスをキープしていた。

教授は裏庭に遊びにくるアヒルの写真を事あるごとにプロジェクターで映し出し、その生態についてレクチャーしてくれる謎の人物で、そもそも野鳥観察の授業なのか翻訳の授業なのか分からなくなることが多かった。翻訳の技術的なことは何一つ学んだ内容を覚えていないが、先生は翻訳界のドン的な存在らしく、こんなパンチのある人でも翻訳って出来るんだな、と翻訳の世界の寛容さを学ばせていただいた。

翻訳の授業で興味が出たので、大学卒業前に2か月の通訳講座を受けることにした。そこでは現役通訳者の講師陣からメモの取り方、逐次、同時通訳の基本を学び、今までの大学時代では味わったことのないレベルで好奇心、探求心を刺激された。もともと依存体質なのだが、通訳に要求されるスピード感、正解不正解のスリルなどゲーム的な感覚にどっぷりと中毒になった。

それなりに根拠のない自信をもってクラスに入ったがその状態は長くは続かず、すぐに自分のスキルの低さを実感させられた。クラスメイト達のレベルの高さにビビる毎日。最終テストの時は全員の前で模擬逐次通訳をやらされたが緊張で手足が震えるのを抑えようと直前に全速力で校舎を数週走り回ったのを覚えている。ランニングから息も絶え絶えに通訳を開始したが心臓は別の意味でもバクバクし続け結局結果も散々。不合格となり、かなりヘコんだ。救いとなったのは同時通訳のテスト。メモを取る必要がないからか、それなりにこなし「同通はクラス一だった」との言葉を頂き自尊心へのクリティカルヒットを免れた。

ハワイ大学卒業@2005年。後ろに見えるのはパワースポットして知られるマノアの山。 

卒業後、とあるハワイの翻訳会社でバイトをすることになり事務作業の日々が続いた。変なことを書くと業界から干されそうなので言葉を選ぶとSIRIとかALEXAならサクッと終わらせてくれそうな仕事。そんな中、有り難かったのはたまに翻訳と通訳の仕事をくれたこと。当時の自分の経験値とザコすぎるスキルを考えればたまに振ってくれるだけでも超太っ腹であった。

デビューは2005年のハワイ。会社がくれた初通訳案件は精神世界系の電話相談だった。「オーラの泉」に出てきそうなハワイアンのヒーラーと癒しのアドバイスを求める顧客(迷える羊)の間での逐次。当時はそれが珍しい事かどうかも知らなかったが、初戦からいきなりリモート通訳だった。内田裕也風の白髪ロン毛かつ巨漢の霊媒師にビビりながら震える手でノートを取った。ところが先生の頭と同じく自分も緊張で頭真っ白。焦りながらも無心に、まさにイタコのように聖なる予言を聞こえたままにアウトプットしつづけて完全燃焼。終わった後しばらく放心状態だった。

 

海パンでどこへでも赴くハワイではアロハシャツが正装。通訳もアロハ。

 出来にまったく自信はなかったが、優しい守護霊が微笑みかけてくれていたのか、その後もなぜかスピリチュアル通訳案件に何度も恵まれた。観客ありの舞台での初仕事はイルカの魂を交霊させるチャネラーの通訳だった。イルカの霊が降りてくると、声が裏声になり「イルカくんだよ!」と有名なネズミのキャラクター風の声で語りだした。駆け出しの自分は裏声で〇ッキー風に声を寄せるべきなのか、地声で行くか迷い、結局その間のちょっとテンションの高い地声を選び、やみくもに駆け抜けるようにして通訳を完走。イルカの生活やその高い知能に直接触れる貴重な経験と当時の自分にとってはかなりの大金をゲットして事なきを得た。

かくして通訳とスピリチュアルの両業界の洗礼を同時に受ける形となった初通訳の後、担当していた霊媒師の先生に「前世」を見てもらい「痛み」が今回の人生のテーマ曲であるとのハードボイルドな告知を受けた。それからというもの、この言葉を振り払うようにして紆余曲折、ラップに打ち込んだり、サーフィンのインストラクターをやったり、酒に逃げて自分を追い込んだり、ブラック企業で社畜として追い込まれたりと茨の回り道でもがいた。のらりくらりと楽を選んでいるうちに時は経ち、意を決して再び通訳の世界に飛び込んだ時には、内田裕也風の先生とのセッションから早くも10年が経っていた。

オーシャンガイド・インストラクター時代

人生のビッグウェーブでアップダウンを繰り返し分かったのは痛みを避けていると、結局長い目で見て痛い目にあうってこと。パドルアウトなしに波には乗れない。辛いのを避けていたら弱くなって面白い事も何もできなくなる。人生でも、通訳でも面白さは常に「痛み」と隣り合わせにある。思い切って痛みに飛び込んじゃえ。前世の事は良くわからないけど、あの時イルカ君が伝えようとしたのは、そういう事だったのかもしれない。

高木 クリス(たかぎ クリス) 2005年デビュー

ハワイ大学卒。日本を代表するアニメーション制作会社の社内通訳者。CGアニメ・映像制作を中心に通訳として活動。国内最大の通訳大会である「同時通訳グランプリ」にて2019年優勝。またラッパーとしてもB-BOY PARK2003でのMCバトル王者として知られる。アルバムを5枚リリースし最新作は「轆轤」(2017)。「ENGLISH JOURNAL」に「英語でラップを学ぶ~Rap in English!」を寄稿。

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