【第17回】駆け出しのころ「子育てを終えて翻訳者から通訳者に」

「私はプロになれるのだろうか」「いまやっていることは本当に役に立つのだろうか」―デビュー前に誰もが抱く不安、期待、焦燥。本連載はプロ通訳者の駆け出しのころを本人の素直な言葉で綴ります。

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~Ignorance is bliss. 知らぬが仏~
私が通訳者になりたいと思ったのは実は50歳を越えてからのことです。それ以前は大阪外国大学を卒業後にロンドン大学に留学、そのままロンドンの日系商社に就職、結婚、2人目が生まれた後は会社勤めをあきらめてフリーランスの在宅翻訳者になりました。そしてロンドンの南にあるケント州の田舎町で3人の子供たちを育てながら翻訳もするという生活が約20年続きました。それはそれで充実していたのですが、末っ子が間もなく大学生になって家を出ていくとなった頃、つまり人生の節目に立って将来を考えた時、また外に出たい、社会と関わりたいと切実に思いました。そして英語に不自由はないし、人とおしゃべりするのは好きだし、あちこち行けて華やかで楽しそうな通訳になりたいと安易に考えたのです。

~Ask and it shall be given. 求めよ、さらば与えられん~
何をすればいいのかわからない中、まず社会復帰のリハビリを兼ねて各種の会合に顔を出しました。通訳翻訳業界の集まりだけではなく、ご近所の互助会やアマチュアオーケストラの手伝い、学校関係のイベントなどいろんな活動に積極的に参加しているうちに、2015年10月、それほど親しくもなかったママ友の紹介で、日本に進出したいという隣町の中小企業の社長さんのお手伝いをすることになりました。通訳の真似事もさせていただけて楽しかったのですが、通訳の基本のキも知らず、「社長はXXとおっしゃってい ます」と三人称で訳すなど今思えば赤面のかぎりです。それでもビジネスが成功してフランチャイズ化するまでの3年間ずっとお手伝いさせていただき、日本出張にも何度か同行させていただけたのはとてもありがたくいい経験でした。

~Take a leap of faith. 思い切ってやってみる~
通訳の勉強を始めたのは2016年10月、52歳の時でした。知人に教えていただいてロンドンメトロポリタン大学会議通訳修士課程に願書を出し、入学が許可されたのです。一旦社会に出て家庭も持ってからまた学生に戻るには時間的、金銭的負担が少なくありませんが、ありがたいことに背中を押してくださる方がいて、また家族も私の第二のキャリアのためと喜んで応援してくれたので思い切ってやってみることにしました。

私が比較的短期間で翻訳者から通訳者に転向できたのは、大学で集中的かつ体系的に訓練を受けることができたからです。長い翻訳時代を通じていつの間にか語彙や雑多な知識が増えていたことももちろん役立ちましたが、何よりもロンドンメトロポリタン大学の熱意あふれる教授陣、特にコースリーダーのダニエル・ドヘイヤー先生と日本語チューターのグリーン裕美先生の的確な指導と学生たちへの愛情のおかげです。コースは実践的で課題も多く時間繰りには苦労しましたが、通訳スキルだけではなく、主な通訳理論、チームワークが求められるプロジェクト、国連やEUなど国際機関や通訳エージェントから多数のスピーカーを招いて現場のお話を聞かせていただいたりと、通訳者としておさえておくべき基礎を幅広く効率よく教わりました。また多言語の学生が一緒に学ぶためリレー通訳の練習が日常的に行われ、後に国際会議に呼んでいただけるようになった時もリレーだからと動じる事はありませんでした。他言語の通訳者や業界の有名人、エージェントなど、業界のネットワークができたのも大きな財産です。自分の子供のような若いクラスメートたちとワイワイ楽しく学べた貴重な2年間でした。

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(写真:2016年大学で初めて座った同通ブース)
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(写真:2018年バービカンで卒業式)

~Fake it till you make it. できるようになるまではできるふり~
大学では学生の現場デビューまでを視野に入れて職場経験を単位要件に組み込むなど工夫がされていましたが、それでも卒業後に通訳者としてスタートを切るのはそう簡単ではありません。私は無数にある大小の通訳エージェントに売り込みをかけるのは最初からあきらめて、大学の恩師や他言語の友人、イギリスの日本語翻訳通訳者グループ(J-Net)に時折寄せられる求人情報、翻訳時代のエージェント、知人のつてなど、いろんな方のご紹介に頼って細々と仕事を始めました。案件の難易度と自分の力量を比べてなんとかなりそうだと思う案件をお引き受けし、ベテラン通訳者とは比較にならないほど長い時間をかけて準備して臨むのですが、それでも漠然とした不安のあまり下痢はするし、大量の資料を全然読み切れなくてパニックしている夢や迷子になって現場に行きつけない夢などを見て夜中に目が覚めてしまうことも多く、通訳者には向いていないのではないかと思うことが何度もありました。それでもいろんな所に出かけて行って普通ならお会いできない方々のお話を聞ける喜び、そして何とかやり遂げた後の達成感がたまらず続けているうちに、リピートのご依頼が少しづつ増えていきました。

~Treasure every encounter, for it will never recur. 出会いを大切に~
大勢の方々から大小いろんなアドバイスやサポートをいただけたおかげで通訳者として順調なスタートを切ることができました。また今回のコロナウィルス騒ぎを機に日本会議通訳者協会(JACI)を始め多くの団体・個人が多様なオンラインセミナーやワークショップを開催してくださっていることも大変ありがたいです。大きな困難に直面して通訳者の連帯感が強まっているように感じ、心強く思っています。

通訳者として働き始めて気づいたことがあります。それはフリーランス通訳者は実はフリーランス翻訳者と同じかそれ以上に孤独だということです。売れっ子の通訳者さんほど各国を飛び回っていらっしゃいますし、仕事でパートナーを組んで意気投合しても、なかなかプライベートで会う時間はありません。そんな中でグリンズアカデミーがオンライン講座として立ちあがり、大学を卒業した後も志を同じくする世界各地の仲間と定期的に練習し、お互いにフィードバックをし合ったたり、情報交換したりできるのが本当にありがたいです。

他の人よりも何十周も遅れて通訳デビューした私ですが、人生100年、自分なりに前進を続け、あと20年は元気で楽しく働き、社会に貢献したいと思っていま す。

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(写真:2019年ロンドンのギルドホールで同通)

キーホー智栄子 (きーほー ちえこ) 2017年デビュー
神戸市出身。大阪外国語大学卒業後、ロンドンのシティ大学で経営修士号(MBA)を取得。約20年間の翻訳者時代を経て、ロンドンメトロポリタン大学で会議通訳修士号(MACI)と公共通訳(イングランド法)ディプロマ(DPSI)を取得、会議通訳者に転向。2019年JACI同時通訳グランプリ社会人部門ファイナリスト。ロンドン南のケント州在住。得意分野はIT、IR、エネルギー。製薬も勉強中。