【第12回】駆け出しのころ「大学職員から通訳者へ」

「私はプロになれるのだろうか」「いまやっていることは本当に役に立つのだろうか」―デビュー前に誰もが抱く不安、期待、焦燥。本連載はプロ通訳者の駆け出しのころを本人の素直な言葉で綴ります。

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「駆け出しの頃」がテーマですが、私は2018年からフリーランスで翻訳を始め、2019年にひっそりと通訳の看板も出し始めた駆け出し真っ只中の新人です。通訳者になるまでのこと、通訳をするようになったきっかけについて振り返ってみたいと思います。

通訳という仕事に初めて関心を持ったのは大学生の頃でした。偶然、図書館で会議通訳者の新崎隆子さんが書かれた『通訳席から世界が見える』(筑摩書房)を見つけて読み、紆余曲折を経て通訳者として第一線で活躍されている新崎さんの軌跡に感銘を受けたのです。通っていた大学では通訳の授業も開講されていたため、その余韻の覚めやらぬままにいきなり同時通訳の授業を受講したのが最初の通訳学習でした。

しかし、当時は通訳者を本気で目指すほどの情熱も根性もなく、一通り通訳の授業を取ってすっかり満足した私は通訳のことを忘れ、うっかり就活も忘れ気付けば卒業していました。目的もなく福岡の実家に帰り、ダラダラと韓国ドラマを見て時々アルバイトに行くニート以上フリーター未満な生活を3、4年続けていましたが、25歳を超えるとアルバイトの面接で落とされる回数が増えるようになります。慌てて派遣会社に登録に行ったものの、一度も定職に就いたこともなく何の資格もスキルもない私は門前払い。とりあえず登録した日雇いの派遣で弁当工場の仕事にありつきましたが、一日働いた手取りが四千円未満だったことに危機感を覚え、簿記でも取ろうかと訪れた資格学校の勧めで公務員試験を受けることにしました。

ここで踏んばらないとやばい!と猛勉強した結果、なんとか地元の国立大学法人に事務職員として拾っていただき27歳で初めて定職に就くことができました。配属部署で留学生の教務を担当させていただいたことが結果として今の仕事につながります。

担当業務では毎月、多いときは毎週のように留学生向けの見学旅行やイベントがあり、その準備や引率に追われていました。毎回、見学先の通訳はバイリンガルの教員が担当していたのですが、とある見学旅行の前日夜に「急用で参加できなくなったからお前が通訳をやってくれ」というメールが入ったのです。翌日の見学先は、地元の自動車工場と食品工場。無理!他の人に頼んで!と返信しかけましたが、大学生の頃受けた通訳の授業の記憶がふとよみがえりました。そうだ、私、通訳勉強してた!と思い直し、「やります」と言ってしまったのです。当時の記憶をたぐり寄せながら必死で単語帳を作って覚え、なんとか当日の通訳をやり遂げました。思い出は美化されバッチリできた記憶しかないのですが、英語が聞き取れず「工場の音がうるさくて聞こえなかったので、もう一度言ってください」と言い訳したような・・・。それ以降、見学先やイベントでの通訳・翻訳を任される機会が増え、見よう見まねで実践しつつ大学で学んだ知識を生かせることに大きな喜びを感じていました。

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(写真:大学職員時代)

その後、数回の異動を経験し行政文書に向き合う仕事が主体となります。通訳をすることもほとんどなくなりましたが、自分なりに新しい仕事に奮闘する中で子どもが生まれ、公私ともにそれなりに充実した日々を過ごしていました。しかし、担当業務の繁忙期に子どもの入院で穴を開けてしまい周りに大迷惑をかけてしまいます。申し訳なさでいっぱいになると同時に働き方や働く意味について考えるようになりました。皆に迷惑をかけ、病気の子どもを残してまでこの仕事をすべきなのだろうか、と思ってしまったのです。

じゃあどうしよう、と考えたときに一番に思い出したのは通訳や翻訳をしていた頃の自分でした。小さな子どもを抱えて通訳の現場に出ることは難しい。でも自宅で翻訳をするならどうだろう。翻訳で少しでも稼げるようになったらもう一度通訳も勉強したい、と思ったのです。ものすごく甘い計画ですが、思い立ったらとにかく突き進みたくなり、仕事と子育ての傍ら翻訳を学び半年後に退職し、フリーランスとして翻訳のお仕事をいただきながら通訳学校に入学しました。

勢いだけで突っ走ってきましたが通訳学校での勉強は難しく、何回聞いても何を言っているのか一人だけ聞き取れず情けない思いをしたり、拙い訳で教室が微妙な雰囲気になったりとため息が出るような思いをたくさんしました。特に同時通訳のクラスに進級してからは自分の実力に落胆する毎日が続きます。その頃、会議通訳者のグリーン裕美さん主宰のグリンズアカデミーと出会い、日本全国・世界各地で活躍されている通訳者さんたちと一緒に勉強させていただくようになりました。皆さんが楽しみながらスキルアップを目指す姿に触発され、自分も先輩方のようになりたいと強く願うようになり、課題はすべて提出するなど地道に努力を重ねました。

そんな中、関根マイクさんと初めてお会いしなぜかその場で「日本会議通訳者協会(JACI)の通訳フォーラムで基調講演の同時通訳やってみない?」と誘っていただきました。よりによってプロが集まる場でいきなり恥をかきたくないと心底思いましたが、基調講演者はなんと、あの新崎隆子さんだったのです。後先も考えず「やります!」と言ってしまい、ろくに通訳経験もないのに気付いたらブースの中にいました。通訳を勉強するきっかけとなった新崎さんの通訳ができるとは夢にも思いませんでしたが、生きているといいことがあるものですね。

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(写真:同通ブースにて)

これをきっかけに少しずつ大学の講義やワークショップなどの通訳を任せていただけるようになり、通訳学校とグリンズアカデミーで研鑽を積みながら通訳をさせていただいています。今はとにかく愚直に、いただいたお仕事一つ一つを大切にしていきたいと思っています。まだまだ暗中模索でこの先どうなるのか想像もつきませんが、いつか麓の景色を眺めながら「ずいぶん高く登ったなぁ」と言えるよう、山を一歩ずつ登っていきたいと思います。


蛇川真紀(じゃがわ まき) 2019年デビュー
福岡市在住。大学卒業後、数年間のニート以上フリーター未満生活を経て国立大学法人職員として就職。留学生教務や総務を経験し2018年に退職すると同時にフリーランス翻訳者として主に自動車(MaaS、CASE関連など)、IT(ソフトウェア、モバイルなど)分野の翻訳に携わる。2019年から通訳者としても活動を開始。ひなびた居酒屋と少量の酒をこよなく愛するが最近はなかなか飲みに行けないのが悩み。
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