【第9回】手話通訳士への道「『公』の働きを鈍らせる意識 Vol.2」

前回は、障害者に対する意識を未熟な個人意識、社会意識とに分けて取り上げてみました。

今回は、そんな社会の一端を取り上げ、考えたいと思います。

●憲法の描く社会像との乖離

さて、私の食う、寝る、風呂など生活時間以外での時間の大半は、社会福祉領域での活動になっています。

社会福祉領域の暮らしというと、憲法25条第2項に代表される国家の役割をイメージする方が多いと思いますし、私もそう考えています。

ろう者をはじめとする障害のある人々の暮らしに接すると、社会福祉領域だけでなく、憲法第3章が保障する権利、自由が保障される社会像との乖離を目の当たりにすることが多く、社会の未熟さを痛感します。

この乖離は、多くの障害者はじめ障害者に係る人たちが、それぞれの場で、それぞれの方法で、憲法が描く社会の姿を実現しようと奮闘している状況は、社会の未熟さの表れ(社会は常に発展し続けるものだと考えると運動はなくならない。)でもあるのです。

憲法の国民の権利・自由及び義務を定めた第3章は、3権(司法、立法、行政)の活動、特に私たちの領域では、手話通訳事業など社会福祉行政の活動の土台をなすものです。

公の働き(行政活動)の一つである社会福祉活動は、憲法を具現化した働きでなくてはならないのですが、現実に展開されている社会福祉行政の活動をみると、まだまだ乖離が大きく未熟さを実感しています。

ここで、未熟な手話通訳制度の裁判事例を簡単に紹介します。

2011(平成23)年香川県高松市は、

①市外への手話通訳派遣は認められない。

②専門学校のオープンキャンパスや保護者説明会は義務教育に準ずるものではないので派遣は認められない。

の2点を理由に手話通訳派遣申請を却下しました。

却下されたろう者は高松地裁に提訴しました。

最終的に、高松市が制度の見直しを約束し、和解となりましたが、知る権利を制限し、手話通訳事業を恩恵的に位置付けた行政の姿勢が問われた訴訟でした。

行政活動は社会発展を意図して取り組むべきものにもかかわらず、この恩恵的な対応が、ろう者はじめ一般市民等に対して、人権意識を薄める結果となっていることはおさえておく必要があります。

もう一点、日本手話通訳士協会前会長の小椋英子さんは、手話通訳事業の法定化について、手話通訳事業を権利性の高い事業に位置付けたが、ろう者の認識をみると、まだまだ、「手話言語通訳者にお願いして、きてもらう」といった状況がみられると指摘しています。

権利性を薄める行政活動がその要因にあることがうかがい知れます。

手話通訳事業を恩恵的に位置づける対応について、障害(者)の存在を否定する優生思想の延長線上にあると考えている私は間違っているのでしょうか。

●人間らしい面と…

私たちが行う通訳の対象者は、ろう者と聞こえる人です。この対象者は、残念ながら多かれ少なかれ優生思想が染みついているのではないでしょうか。

それとも、偏見、差別観満載の私だけでしょうか。

そもそも人間は、人を大切にし、支えたりする「人間らしい側面」と、虐待したり、人を殺めたり、排除したりする「非人間的な側面」を併せ持つ「矛盾した生き物(人間)」であることは一般的によく知られていることです。

とすると、全ての人が障害者の存在を否定する人だと考えているわけではありませんが、ややもすると否定する考え方につながる意識が私たちの奥底にあるように思えるのです。

前回紹介した相続場面は、排除するわけではないですが、排除につながる意識が働いているというのは言い過ぎでしょうか。

いずれにしても手話言語通訳の実践は、この人間の脳のなせる技を理解しておく必要があります。

コミュニケーション活動は、このような矛盾した側面を持つ人間同士によって成り立つし、通訳者自身もこうした矛盾を抱える人間なのです。

●いい通訳したのに…

ろう者や聞こえる人が、それぞれ理解できるだろうと思う通訳をしているのに、なぜかうまく伝わらない。

手話言語通訳の多くは、このような、通訳の効果を弱める通訳現場を経験していると思います。

その原因を考えると、差別、偏見、思い込みなど「矛盾する人間」にあることが少なくありません。

第6回でちらりと触れた専門性の一つに「非人間的な側面」を小さくする学びを位置づけることが重要だと私は思っています。

●法にみる障害(者)観の変遷

連載の第6回では社会福祉法の改正と手話通訳事業の法定化について触れましたが、今回は、障害者施策の基本法と言われる1970(昭和45)年に制定された心身障害者対策基本法(現障害者基本法。以下「基本法」という。)から障害者観を中心に考えてみます。

基本法は、2011(平成23)年に3回目の大きな改訂を経て、現在に至っています。法制定以降「国際障害者年」「障害者の権利に関する条約」の批准など国際的、国内的な障害者運動の到達点による動向が影響していることは言うまでもありません。

しかし、順調に成熟してきたわけではありません。

尊厳あっての人権(憲法13条)が、下表にあるように、目的規定の中で、地域共生規定の中で謳い、制定当初、条文として、基本的な柱として、位置づけていた「個人の尊厳」が2011年改正で消えてしまいました。

加えて、障害のある人の権利に関する条約の柱であり、条文中たくさん登場する「他の者との平等」も謳われていない。

個人の尊厳、平等を社会の成熟度の物差しにしている私は、このことを不満に思ってしまいます。私の考え方は、間違っているのでしょうか。ひねくれているのでしょうか?

様々な規制・制限の中、ろう者の暮らしから学びながら手話通訳士の道を歩んできた私です。

こんなことに関心が持てる私の成長(!?)の道筋に「手話通訳士としての私」がいるのです。

次回は、いくつかの創作事例をもとに考えてみたいと思います。懲りずにお付き合いください。

【参考】

1970(昭和45)年制定時と現基本法

 
目的この法律は、心身障害者対策に関する国、地方公共団体等の責務を明らかにするとともに、心身障者の発生の予防に関する施策及び医療、訓練、保護、教育、雇用の促進、年金の支給等の心身障害者の福祉に関する施策の基本となる事項を定め、もつて心身障害者対策の総合的推進を図ることを目的とする。この法律は、全ての国民が、障害の有無にかかわらず、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念にのつとり、全ての国民が、障害の有無によつて分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会を実現するため、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策に関し、基本原則を定め、及び国、地方公共団体等の責務を明らかにするとともに、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策の基本となる事項を定めること等により、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策を総合的かつ計画的に推進することを目的とする。
定義この法律において「心身障害者」とは、肢体不自由、視覚障害、聴覚障害、平衡機能障害、音声機能障害若しくは言語機能障害、心臓機能障害、呼吸器機能障害等の固定的臓器機能障害又は精神薄弱等の精神的欠陥(以下「心身障害」と総称する。)があるため、長期にわたり日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者をいう。この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。  障害者 身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害(以下「障害」と総称する。)がある者であつて、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう。  社会的障壁 障害がある者にとつて日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のものをいう。
個人の 尊厳すべて心身障害者は、個人の尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい処遇を保障される権利を有するものとする。削除(個人の尊厳という何事にも代えがたい価値を放棄してしまった)
地域社会における地域共生等 第一条に規定する社会の実現は、全ての障害者が、障害者でない者と等しく、基本的人権を享有する個人としてその尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい生活を保障される権利を有することを前提としつつ、次に掲げる事項を旨として図られなければならない。  全て障害者は、社会を構成する一員として社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会が確保されること。  全て障害者は、可能な限り、どこで誰と生活するかについての選択の機会が確保され、地域社会において他の人々と共生することを妨げられないこと。  全て障害者は、可能な限り、言語(手話を含む。)その他の意思疎通のための手段についての選択の機会が確保されるとともに、情報の取得又は利用のための手段についての選択の機会の拡大が図られること。
国及び地方公共団体の責務国及び地方公共団体は、心身障害の発生を予防し、及び心身障害者の福祉を増進する責務を有する。国及び地方公共団体は、第一条に規定する社会の実現を図るため、前三条に定める基本原則(以下「基本原則」という。)にのっとり、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策を総合的かつ計画的に実施する責務を有する

川根紀夫(かわね のりお)

手話通訳士。1974年、聴覚障害者福祉と手話言語通訳者の社会的地位の向上のため、手話言語、手話言語通訳や聴覚障害者問題の研究・運動を行う全国組織である「全国手話通訳問題研究会」の誕生に伴い、会員に。1976年、手話言語通訳の出来るケースワーカーとして千葉県佐倉市役所に入職。1989年、第1回手話通訳技能認定(手話通訳士)試験(厚生労働大臣認定)が始まり、1991年には、手話通訳士の資質および専門的技術の向上と、手話通訳制度の発展に寄与することを目的に「一般社団法人(現)日本手話通訳士協会」が設立され、1993年、理事に就任。日本手話通訳学会、日本早期認知症学会、自治体学会に所属。第4回JACI特別功労賞受賞者。