【第8回】手話通訳士への道「『公』の働きを鈍らせる意識 Vol.1」

前回は、公の働きとして位置づけられている手話通訳制度を紹介しました。

なんとなくですが、第3回、第4回で個人意識と社会意識についてイメージできるよう触れています。

今回は、これまで触れていることをもう少し深め、次回につなげたいと思います。

 特に、障害(者)に対する社会意識、個人意識です。

●社会意識

ろう運動が作り上げた社会意識が反映し、手話通訳事業が法制化され「手話」が法律に登場するまでになりました。

法律の中にポツンと「手話」が登場するだけでなく、手話日本語を日本の公用語として認め、手話言語で暮らせる社会をめざして全日本ろうあ連盟は、次の5つの権利をその要件とする手話言語法の制定運動に取り組んでいます。この取り組みが成熟した社会意識に昇華することを願っての運動だといえます。

全日本ろうあ連盟の手話言語の法制化運動での-5つの権利-

手話を獲得する ⇒ 手話を身につけられる環境(教育の場)が保障される

手話で学ぶ   ⇒ 授業や講義を受けると き、手話に熟達した教員が直接手話で授業        をすること、必要な場合に手話通訳が用意される

手話を学ぶ   ⇒ 「手話」を教科として学べること。特にろう学校で必要

手話を使う   ⇒ 手話で自由に会話ができること

手話を守る   ⇒ 手話を言語として普及・保存・研究すること

この運動は、2013年度から自治体議会が国に対し、手話言語法の制定を求める意見書を提出する取り組みから始まっています。なんとこの取り組みは、47都道府県、東京都23区、1,718市町村すべての自治体が採択(2016年3月3日栃木県波賀町議会が最後に採択)したのです。

また、「手話を広める知事の会」の設立に取り組み2017年10月13日には、47都道府県全ての知事が加入しています。

1970年度の手話奉仕員養成事業の始まりから、手話言語をめぐる自治体や自治体議会の動きなど未熟な社会意識から成熟した社会意識への歩みを始める中、「優生上の見地から、不良な子孫の出生を防止」し、障害をもつ人に、「中絶や不妊手術をさせる」ことを目的にした旧優性保護法(1948年から1996年まで施行)が存在していました。優生思想に基づく障害者を排除する法律がつい最近まで存在するなど社会の矛盾を表面化させ、社会意識の成熟化への道を切り開いているのは障害者運動です。

成熟化を求める運動の一つである「旧優性保護法」裁判からその課題を見てみましょう。「旧優性保護法」の被害者が起こした裁判の判決は、憲法違反であることは認めても、

その賠償は、除斥期間(20年)の経過を理由に、「賠償の請求権は法律上、消滅した」としています。

原告の方々の人生を考えるととても胸が痛む判決でした。

本人が知らないうちに避妊手術をされ、それを知ったのがずいぶん遅かったうえに、訴えることができることを知らなかった等、障害ゆえに生ずる様々な要因をも考慮しない判決でした。

全日本ろうあ連盟の声明を引用して、紹介しますので、この除斥について考える材料にしていただければ幸いです。                                                                                             

原告であるろう夫婦は「優生保護法という間違った法律があるということを聞いて、初めて自分たちにされたことを知った。私たちに情報が入ったのは非常に遅かった。それなのに遅すぎるというのは我慢ならない、これは差別だ」と心底から怒り、控訴を決意しています。(2021年8月10日優生保護法訴訟神戸地裁判決を受けての緊急声明 全日本ろうあ連盟)

ゆがんだ社会意識が法律にまで及んだ事例が、上記の「旧優性保護法」です。

手話言語や手話通訳事業の歩みの途上に存在していた旧優性保護法をみると、人間同様社会にも矛盾があり、社会発展の原動力と理解することができます。

●個々の意識

近年の虐待事件等非人間的な側面に触れるたびに、その奥底に存在する個々の意識があらためて問われているなと実感しています。

虐待は弱い者に向けられ、高齢者施設や障害者施設、そして病院や家庭などで起きていることが報道されています。

優生思想(個人の意識)に端を発した(実は社会意識の縮小版)事件で、亡くった人の多さ等最も人間のゆがみに驚かされたのは、皆さんご存じの神奈川県相模原市の「やまゆり園」事件です。

私にも加害者と同じ血が流れていると思うと、改めて自分自身と向き合うことを考えさせられた事件でした。

やまゆり園事件や虐待事件のように命に係わる事例ではないのですが・・・。

ろう者が障害を理由に理不尽な扱いを受ける現場で通訳することがあります。そんな経験を相続での通訳現場に見立ててみました。

親が亡くなり、きこえる長男とろうの次男が相続について話し合う場面

長 男 :財産管理は無理だから相続放棄しなさい。(ろうの次男に対して)

ろうの次男:わたしを大切にしてくれた親の想いを受け、相続したい。

長 男 :財産管理は簡単ではない。私が〇〇(次男)の分もきちんと管理するから大丈夫。聞こえないとだまされたりするし、大変だ。

ろうの次男:自分でできるから大丈夫。わたしを大切にしてくれた親の想いを受け、相続したい。

長男  :通訳さん。世の中厳しいこと教えてあげてくださいよ。

この事例。他人を出し抜いて利を得る社会の影響を受けた長男が、次男の相続すべき財産をかすめ取ろうと考えているわけではなく、変な言い方ですが、純粋に次男のことを心配した事例です。

それでも、「余計なお世話だよ」と思いませんか。

心配するなら陰ながらそっと見守り、何かあったらすぐに相談し合うような兄弟関係を作った方が良いと考えますよね。

最近、福祉分野では自己決定がテーマになっています。

自分のことは、みんなに応援してもらいながら自分で決めていける環境がすべての人に必要だからです。自己決定と通訳は大切なテーマなのです。

そんなことを自分自身に言い聞かせながら手話言語通訳に立ち向かいます。

「手話日本語⇄音声日本語」「手話言語⇄音声言語」も専門性の大切な柱の一つです。

さらに、対等平等の関係に基づくコミュニケーションができるように「調整」することも大切な柱でもあり、機能のひとつなのです。

上記相続の通訳場面でどのような対応するのかを議論すると、多様な意見が登場します。

多様な意見があり、多様な対応があっていいのです。

では、私はどうかというと、障害者観、人間観のゆがみ、差別、偏見が容認されることはあってはならないという立場をとります。当然、非人間的な側面を抱えているのが人間であることを理解した上での対応を考えるでしょう。

このことに関連して、手話通訳士の職務について貴重な報告があります。

手話通訳士の資格制度誕生に際し、現厚労省が全日本ろうあ連盟に委託した事業です。

それは、1988(昭和63)年3月30日財団法人全日本聾唖連盟が設置した手話通訳認定基準等策定検委員会が取りまとめた「手話通訳士(仮称)」認定基準等に関する報告書です。 

その報告書から「手話通訳士」の職務を紹介します。

「手話通訳士」の職務とは、聴覚障害者にかかわる「コミュニケーション」が円滑かつ確実にできるように、聴覚障害者が用いる多様な表現手段や、そのレベルに対応して、仲介・伝達すること。また、これらの「コミュニケーション」が正確・対等に行われるのに必要な場面や状況等についての情報を聴覚障害者と健聴者に提供することである。

今回お読みいただいた方々には、様々な意見があると思います。いつかどこかで様々な意見に接することができると私は幸せです。そもそも話し合いは相手を打ち負かすためではなく、違いを知ることにあると私は思っているからです。

次回も、めざす社会像に向けた現実の姿から学びたいと思っています。


川根紀夫(かわね のりお)

手話通訳士。1974年、聴覚障害者福祉と手話言語通訳者の社会的地位の向上のため、手話言語、手話言語通訳や聴覚障害者問題の研究・運動を行う全国組織である「全国手話通訳問題研究会」の誕生に伴い、会員に。1976年、手話言語通訳の出来るケースワーカーとして千葉県佐倉市役所に入職。1989年、第1回手話通訳技能認定(手話通訳士)試験(厚生労働大臣認定)が始まり、1991年には、手話通訳士の資質および専門的技術の向上と、手話通訳制度の発展に寄与することを目的に「一般社団法人(現)日本手話通訳士協会」が設立され、1993年、理事に就任。日本手話通訳学会、日本早期認知症学会、自治体学会に所属。第4回JACI特別功労賞受賞者。