【最終回】手話通訳士への道「ー終わりにー」

 意地の悪い私は、「コーダ(ろう者の両親のもとで育った聞こえる子)」なので、勉強会などで手話通訳が用意されているとき、次のように自己紹介することがあります。

私は「コーダ」です。よく「あーだこーだ(コーダ)」とうるさい川根といわれています。

というと聞こえる人からは笑いが漏れますが、ろう者からの笑いはほとんどありません。

「あーだこーだ」を、ある通訳は、「あーだ」を人差し指で左前を指し示し、「こーだ」を人差し指で右前を指し示し加えて「コーダ」を指文字で表現します。ある通訳は「色々とうるさい」と表現し、加えて「コーダ」を指文字で示します。ある通訳は「あーだこーだ」を指文字で示し、口うるさいという意味であることを加え、指文字で「こーだ」は両親ろうの子どもの「コーダ」と同じと表現したりと様々な通訳が登場します。

手話通訳士・者泣かせの自己紹介なのに、残念なことに「今の自己紹介は川根さんの意図を踏まえた通訳はできませんので自分でやってください。」と言われたことがありません。音声日本語のダジャレを手話日本語で通訳できるのかという悪だくみと、手話通訳の出来る話し手がこんな自己紹介するなんてとんでもない奴だと指摘できる手話通訳士・者なのかを知る機会なので、私としては、まじめ(?)な自己紹介なのです。

もう一つ紹介します。通訳をし始めてから10年くらい経った頃だったと思います。落語の通訳をしたことがあります。私は音声日本語の落語を手話日本語の単語と体のしぐさで聞こえる人とろう者が同時に笑えるよう必死で頑張ったのです。会場が一体となって笑っていたので「大成功」と喜んでいたのですが、終わった後、落語家さんからチクリと一言。「全員が通訳さんを見て笑っていましたね。」と。(@_@

優しい落語家さんからの一言で大失敗したことに気付いたのです。

私は「手話通訳士・者」。主役は誰? そんな当たり前のことを忘れて奮闘していた私がそこにいました。

こんな私でも「通訳」は、通訳対象者と通訳者の3者が協働することが原則だと考えています。この原則の大切な柱である「当事者の座を奪わず」、「通訳者も参加する」手話通訳士・者のあり方や手話通訳の限界、そして、手話通訳士・者はじめ通訳を利用する者(国民)が知っておかなければならないこと、が改めて気になっています。どうもAIの事や電話リレーサービス、遠隔手話通訳など私が手話通訳を始めた50年程前には想像もできなかったできごとが、日常化し始めている現状がその原因となっているようです。

みんなが、「通訳とは何か」を、みんなが理解するために求められているキーワードに「協働」があるのではないか。日々こんなことを考えるようになってきたのです。

これまで何度か触れてきましたが、手話通訳の歴史は、ろう者を対象とする福祉行政として成熟してきました。

障害のある人の相談や支援を担当する行政窓口の「福祉事務所(現在は障害福祉課と呼ばれていることが多い)」にすら手話日本語でろう者の相談支援を担当できる職員がいない中、行政機関に手話通訳士・者を設置したり、手話通訳士・者を派遣する社会福祉事業の一つの事業として対応してきました。

社会福祉活動としての手話通訳という性格上、音声日本語でしか提供されない相談・支援体制の不備から、その機能も求められてきた現実があります。

最近は、自治体が手話の出来る職員や手話通訳士・者を採用し行政活動を展開するところもちらほら目に付くようになってきました。

行政が手話日本語を取り入れ、行政活動をろう者に開放する動きは、音声日本語と同様の地位を手話日本語も得る兆しが見えてきました。手話日本語で対応ができる行政活動の道を歩み始めたと言えるのではないでしょうか。

手話日本語を音声日本語と同様に位置付ける意識や環境等の進展は、日本語には音声日本語と手話日本語があることを理解することから始まります。さまざまな機関や個人が手話日本語を音声日本語と同様な位置(扱い)に近づける(手話言語の普及やAIの活用など含む)対応が進むと、狭義の社会福祉活動としての手話言語通訳と社会福祉活動領域以外の手話言語通訳とは何かという問いが浮かび上がってくるでしょう。

具体的には、「高い手話通訳技術」と「高い倫理観」に加え、正しい障害観や障害者観、多様な言語レベルの理解など基本となる知識、手話日本語と音声日本語を学び深める語学力をどのように獲得していくかが改めて課題となっているように思います。

「共生社会」「SDGs」がテーマとなっている今日、これまで述べてきたような手話通訳士・者のあり方、動き方をふまえ、互いの違いを知る等「手話通訳のやり方」の成熟を考えた時、音声外国語通訳の経験など多様な「通訳」の実践から学び、深めるための共同が求められていることを提起しておきたいと思います。

最後に、この連載のタイトルは「手話通訳士への道」であるにもかかわらず、連載の第1回で連載の軸足について、何を書いても許されそうな手話言語通訳の「担い手」に置くと勝手に宣言しました。

ろう者や手話言語に対する偏見と差別意識にまみれた「私」を軸に、個人意識や社会意識について触れ、未熟な社会・人間が目指すべき人権施策としての手話通訳事業と現実とのギャップについて触れてきました(本人はそのつもりなのです(^o^)/)。

今回の連載が、未熟な個人、社会を背景に、社会福祉事業として発展してきた手話通訳活動の理解が進み、共同の輪の広がりの一助となれば「通訳」の明るい未来につながるものと信じています。

 

さて、肝心なお礼です。

このような貴重な機会を与えてくださった関根マイク会長、日本会議通訳者協会の皆さん、そして拙い文章に根気よくお付き合いいただいた皆さんにまずもってお礼申し上げます。どうもありがとうございました。

「通訳」が社会の貴重な財産となることを願って!


川根紀夫(かわね のりお)

手話通訳士。1974年、聴覚障害者福祉と手話言語通訳者の社会的地位の向上のため、手話言語、手話言語通訳や聴覚障害者問題の研究・運動を行う全国組織である「全国手話通訳問題研究会」の誕生に伴い、会員に。1976年、手話言語通訳の出来るケースワーカーとして千葉県佐倉市役所に入職。1989年、第1回手話通訳技能認定(手話通訳士)試験(厚生労働大臣認定)が始まり、1991年には、手話通訳士の資質および専門的技術の向上と、手話通訳制度の発展に寄与することを目的に「一般社団法人(現)日本手話通訳士協会」が設立され、1993年、理事に就任。日本手話通訳学会、日本早期認知症学会、自治体学会に所属。第4回JACI特別功労賞受賞者。