【第23回】手話通訳士への道「手話通訳のやり方」


今回は、手話通訳士・者のあり方・動き方をふまえ、やり方について考えてみたいと思います。
私は現場に出向いたとき、通訳を利用する人たちの関係性や話題等から、どのような「やり方(通訳)」が求められているのかを考えます。当然事前にわかっていることもありますが、現場で知る生の情報を生かす2つの決め手を紹介します。
一つ目は、次の10の柱からなる「手話通訳に対する期待の内容」です。これは、ろう者の期待ですが、手話通訳の利用者と読み替えて10の柱のうちどれを中心に据えるかを考えるようにしています。
二つ目は、手話通訳利用者の対等な関係です。


では一つ目です。
①ろう者の期待
 林智樹さんは、社会福祉法人全国手話研修センター発行「手話通訳者・手話通訳士ハンドブック」のP47で、白澤麻弓さん(一般社団法人日本手話通訳士協会理事)の「日本語-手話同時通訳の評価に関する研究」からろう者の手話通訳に対する期待を右のように紹介しています。

社会福祉法人全国手話研修センター発行「手話通訳者・手話通訳士ハンドブック」


 手話通訳のやり方を考えるうえで、「ろう者の期待」を調査した白澤さんの研究(「日本語ー手話同時通訳の評価に関する研究」風間書房)はとても有意義なものです。ぜひお読みいただきたく紹介しました。 
 

この「期待」は、左の「手話通訳におけるメッセージの伝達」の一番右にある「メッセージを多言語で表現」が、手話通訳のやり方に対する期待となっていることがわかります。

 
「ろう者の期待」(手話通訳の利用者の意)に応える「手話通訳のやり方」が評価されるのは手話通訳のプロセスの最後の表現にあるのですが、適切なメッセージの理解と再構成があって初めて表現となることは言うまでもありません。発言者の意図、発言の意味、メッセージの理解があって、それを意味にあった適切な音声日本語又は手話日本語で表すのです。
通訳は聞き手がわかることを前提としています。聞き手がわかる通訳、聞き手が聞こうとする姿勢につながる通訳といったとき、上記「手話通訳に対する期待」の10の柱が問われると私は考えているのです。
聞き手がわかる通訳をすることが一つ目の決め手です。


 次に二つ目です。
②対等な関係
②-1通訳利用者の関係
 ろう者の置かれている環境に目を向けてみましょう。
ろう者と聞こえる者とのコミュニケーション関係はどうなっているのでしょうか。
 障害があると、単に必要な配慮が求められているだけなのに「劣った人間」「かわいそうな人」「面倒を見てあげなくてはならない人」「要求の多い人」といった見方をされ、そのことがコミュニケーション関係にも影響を及ぼしている現場に出会うことがあります。
 表立って見えなくとも潜在的な意識に無理解が見え隠れしている場面もあります。
 また、ろう者自身の遠慮がコミュニケーション関係を阻害していることもあります。
 聞こえる者優位の社会から小さくなって生きてきたろう者の姿を目の当たりにすることです。
 このような状況があることをふまえ、ろう者の「直ちの反論や主張こそ、対面場面における平等な相互理解の方途である。」(第1回全国手話通訳者会議「伊藤論文」より)を教訓に、できるだけろう者の発言を意識したやり方を心がけるようにしています。
 次に通訳利用者だけでなく、私自身が聞こえるので、音声日本語の発言者の側に知らないうちに立ってしまうことに注意を促す同じく「伊東論文」から紹介します。
②-2通訳者自身の事
 「通訳者は時に通訳活動の使命を離れて音声語による発言の側<健聴者>に片寄って、ろうあ者にそれをおしつけていく傾向が出てくる。通訳者は大ていが健聴者であることが一層この種の傾向に走り易い側面をもつのである。」
 この点は、上手く説明できないのですが、無意識のうちにコミュニケーションが「聞こえる」文化といっていいのかどうか、これもよくわかりませんが、通訳が終わって振り返ったらろう者は聞くことに終始していたことに気づいたり等、音声日本語優位のコミュニケーション関係をつくってしまった経験が少なからずあるからです。
決め手の二つ目は、ろう者の発言を念頭に置くことです。
 
 さて、テーマとはそれてしまいますが、障害者に対する合理的配慮の提供義務が民間事業者にも適用されます。民間事業所もこの4月1日からはこれまで努力義務だった合理的配慮の提供が義務化されます。
 詳細は、次のリーフレットをご覧ください。
 リーフレット「令和6年4月1日から合理的配慮の提供が義務化されます!」 – 内閣府 (cao.go.jp)
 このことを紹介したのは、音声外国語を使う人たちに対する配慮が遅れていると感じているからです。
 私が市役所に努めていた時、生活保護の窓口を訪れる外国人の方の多くは日本語が多少話せる友人が通訳をしていました。
 市役所もそれで良しとしていたのです。
 一部を除いては、今もその傾向は変わっていないと思います。
 多文化共生とか、共生社会は必要とする配慮が提供される環境が必須条件です。
 配慮が人権として位置づけられて共生社会のスタートラインにつけるのだと思います。
 「伊東論文」は、通訳の役割について、「民主主義にとって自由な言論はその基礎であり、民主主義に基づく社会に生きるろう者にとって通訳活動は、この人たちが主体的に社会に生き、社会との連帯野中に生きるための、重要な役割を担うのである。」としています。ろう者を、通訳を必要とする人たちと読み替えて、「通訳」をこの社会の財産にしたいと考えているのは私だけではないと思います。少なくとも通訳の担い手の協働で実現に向けて取り組めるとよいと思いますがいかがでしょうか。
手話通訳士への道は、人権としての通訳を模索する道でもありました。
 次回は最終回です。懲りずに最後までお付き合いください。


川根紀夫(かわね のりお)

手話通訳士。1974年、聴覚障害者福祉と手話言語通訳者の社会的地位の向上のため、手話言語、手話言語通訳や聴覚障害者問題の研究・運動を行う全国組織である「全国手話通訳問題研究会」の誕生に伴い、会員に。1976年、手話言語通訳の出来るケースワーカーとして千葉県佐倉市役所に入職。1989年、第1回手話通訳技能認定(手話通訳士)試験(厚生労働大臣認定)が始まり、1991年には、手話通訳士の資質および専門的技術の向上と、手話通訳制度の発展に寄与することを目的に「一般社団法人(現)日本手話通訳士協会」が設立され、1993年、理事に就任。日本手話通訳学会、日本早期認知症学会、自治体学会に所属。第4回JACI特別功労賞受賞者。