【第18回】手話通訳士への道「ろう者の国民主権の現状と手話通訳士(者)の職業病」

1.目指す社会と未熟な社会

公務員である手話通訳士・者は当然のことながら、第5回で紹介したように、第2種社会福祉事業に規定する手話通訳事業の原資は税なので、業務上民間で活躍する手話通訳士・者も「憲法の目指す社会の実現」に責任を負うことが求められています。

その責任とは、「憲法とは、国民の人権を守るためにあるというのが世界の常識」(監修上田勝美『13歳からの日本国憲法』かもがわ出版、2017年、はじめにより)と言われているように「個人の尊厳」を保障するために不可欠な人権が守られ、「自由」で「幸せ」に生きることのできる社会の実現があげられます。

 憲法の中心となる規範である「国民主権」は、同じく中心となる規範である「個人の尊厳」の維持、発展に深くかかわっていることから、ろう運動の世界でも、障害者運動の世界でも「参政権」をめぐる運動が長く展開されてきました。

 「大日本帝国憲法」の根本的な大改革の末生まれた「日本国憲法」の施行にあたって、美濃部さんは憲法施行後まもなく新憲法逐条解説を発行しています。その序の日付が昭和22年4月天長節(天皇誕生日)の日となっていました。そこに、発行の目的について次のように言っています。

「新憲法の趣旨を完全に実現せしむる為には、全国民の努力が必要であり、而してそれには憲法に関する健全な知識を一般に普及することが、当然の前提と為らねばならぬ」と。そして美濃部さんの言う「根本的の大改革」の柱である「国民主権」について、「新憲法は之に対し天皇からこれ等のすべての力を取り除き、憲法の改正も法律の制定も国民の代表議会の議決(憲法の改正は国民投票が加わる)のみに依って成立するとしたのであって、即ち主権はもはや天皇に属するものではなくして、国民に属するものとなったのである」(美濃部達吉「新憲法逐条解説」日本評論社 昭和22年 P12)と「国民主権」について触れています。

人権が守られる社会を実現するために働く「国」をつくる権利が、国民にあることを示すと同時に国民の努力を示したものです。

●未熟な国民主権(参政権)国民の努力(運動)

では、自らの意思を国政に反映する参政権の行使にかかわる政見放送の手話訳の取り組みを日本手話通訳士協会ブックレット13「政見放送における手話通訳」から簡単に紹介します。

「ろう運動により1967年東京都中野で手話通訳付き立会演説会が実現し、1971年には、自治省(現総務省)が手話通訳を公費負担とする通達を出しました。しかし、その後、1983年に立会演説会が廃止され、政見放送となったことから立会演説会で公費による手話通訳がつけられていたものも廃止となってしまいました。

廃止後、全国各地のろうあ団体は、テレビモニターの横に手話通訳者が立ち通訳をする政見放送のビデオ上映会を行う運動を展開していました。そんな中、1986年参議院選に立候補した聞こえない人が、手話で政見放送に臨んだのですが、手話通訳がつかないため、無言の政見放送となり、手話を知らない人はわからず、ラジオ放送では無音の時間が続き大変インパクトの強いできごとがありました。1992年には、国が政見放送のビデオ上映会の費用の助成を通達し、1995年、日本手話通訳士協会は第5回定期総会で「政見放送に係る手話通訳士の倫理綱領」「政見放送の手話通訳にかかる日本手話通訳士協会の基本的立場」「政見放送の手話う役に関する細則」を採択します。そして、同年に行われた第17回参議院比例代表選出選挙の政見放送にはじめて23政党中、17政党が手話通訳を付けたのです。」

1983年手話通訳付き立会演説会が廃止され、12年後の1995年、参議院比例区から始まり徐々に拡大され、政党の任意ですが、政見放送に手話通訳がつくことになったのです。

しかし、その内容は未だ不十分(未熟)なため、運動側(ろう運動や手話通訳運動)は、この権利の行使に必要となる「政見放送」の手話通訳の挿入について全日本ろうあ連盟は、2023年7月7日総務大臣宛に(1)政見放送への手話言語通訳、字幕の挿入を義務づけてください。とする要望書を提出しています。

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<説明>
 現在、国政選挙・都道府県知事選挙の政見放送では、すべてに手話言語通訳・字幕の付与が実現されておらず、義務付けも行われていません。経歴放送には字幕もなく、音声放送のみでは候補者の経歴を知ることができません。きこえない・きこえにくい人等がきこえる人と同等に選挙に関する情報を得て、その選挙権を行使できるよう、政見放送への手話言語通訳、字幕付与の義務付けができるよう、公職選挙法の改正を求めます。

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 憲法の目指す社会の実現方策の「国民主権」のツールである選挙に係ることなので政見放送を取り上げてみました。憲法の中心的な規範が守られるように不断の努力を重ねている当事者の運動から手話通訳士・者の労働目的が見えているように思いますが皆さんはどう考えますか。

2.手話通訳士・者の一つの現状

 聴覚優位の社会に暮らすろう者にとって、手話言語通訳は憲法の中核的規範である「個人の尊厳」の実現に不可欠ですがその担い手に頸頚腕障害という職業病が多発していることをご存じでしょうか。

変な言い方になりますが、未熟な社会の象徴なので紹介しておきます。

●手話通訳の負担

高田勢介さん(東京社会医学研究センター)は、手話通訳の負担について次のように紹介しています。

「手話通訳の仕事の負担としてとらえなければならないことは、ただ単にろうあ者が発する手話による意思、感情を口話表現に翻訳するというのではなく、障害者の権利や社会参加に関連する福祉制度への理解の上にたって、個別のろうあ者の生活体験や情報量を把握し、意志をくみ取る高度の表現技能と専門性が求められる精神労働とみる必要がある」

「労働と医学」

と手話言語通訳労働の特徴とその負担を端的に表現しています。

厚労省が示す職業起因性の疾病

 対象業務の例示する作業に「手話通訳作業」があげられ、その業務の特徴に「手話通訳における迅速かつ正確な判断を必要とするための過度の緊張等があること。」を上げています。

さて、手話言語通訳はなぜ職業病多発職種なのでしょう。 

(1)人手不足による負担

一人で長時間手話通訳を行わなければならない状況や休日がとれない状況が生ま

 れています。

 また、熟達者不足に起因する少数の熟達者への業務集中も生まれています。

(2)緊張による負担

 ろう者の社会参加の広がりはこれまでの経験を超えた領域に広がり、手話通訳の担い手の新たな負担となっています。

 また、不十分な養成課程に起因する経験の浅い(しかし良心的な)担い手の過重負担(学習ストレスや抱え込み)もみられます。

今回は憲法の目指す社会の実現に不可欠なろう者の参政権保障と、憲法の目指す社会の実現の一翼を担う手話通訳(士・者)の状況について触れました。次回は手話通訳のあり方について考えてみたいと思います。


川根紀夫(かわね のりお)

手話通訳士。1974年、聴覚障害者福祉と手話言語通訳者の社会的地位の向上のため、手話言語、手話言語通訳や聴覚障害者問題の研究・運動を行う全国組織である「全国手話通訳問題研究会」の誕生に伴い、会員に。1976年、手話言語通訳の出来るケースワーカーとして千葉県佐倉市役所に入職。1989年、第1回手話通訳技能認定(手話通訳士)試験(厚生労働大臣認定)が始まり、1991年には、手話通訳士の資質および専門的技術の向上と、手話通訳制度の発展に寄与することを目的に「一般社団法人(現)日本手話通訳士協会」が設立され、1993年、理事に就任。日本手話通訳学会、日本早期認知症学会、自治体学会に所属。第4回JACI特別功労賞受賞者。