【第16回】手話通訳士への道「手話通訳士(者)の仕事を考えてみます Vol.3」

第14回、15回は、聞こえること、音声言語が前提の社会で生きるろう者・手話言語を通じて未熟さについて考えてみました。

全日本ろうあ連盟出版局の「新しい聴覚障害者像を求めて」のP314と、故市川恵美子さんの「手話通訳のあり方・動き方」P38に、このことが的確に表されている箇所があったので補強する意味で紹介します。

先ず「新しい聴覚障害者像を求めて」からです。

12歳の時失聴した、聞こえない、足が悪いという二つのハンディを負った方の体験記に記載されていた部分です。

聞こえる人の中で生きるということは、聞こえる人に合わせなければならないことがあり、聞きたい、知りたいという思いはあっても、遠慮せねばならないこともあり、もどかしく、時の流れをひたすら待つこともある。

『新しい聴覚障害者像を求めて』P314、全日本ろうあ連盟出版局

次に、「手話通訳のあり方・動き方」からです。

ここで紹介されている事例の同居家族は、ろうの父と母(両親)、聞こえる子供二人、そして父の聞こえる母親(祖母)の5人家族です。ろうの両親が結婚後、子供が生まれても子育ては祖母がしていました。

この家族の住む自治体では、学校が通訳を必要とする場合には、学校自らが通訳を手配することになっています。

子どもが小学校の入学に際し、校長先生が祖母に通訳を依頼しましょうかと聞いたら、祖母は即座に私が行くので結構です。と。入学式には父も母も来ませんでした。その後、母が一度も学校に来ないので、先生もどうしたらよいのかわからず、祖母に通訳を頼みましょうかと聞くと、結構ですと言われ、母親と一度もコンタクトが取れない先生はずいぶん悩んでいました。

次第に子どもに問題行動(言葉が適切かどうか。時代背景から原文のまま問題行動としています。)が表れ、教育現場でも悩んでいたようです。ここの自治体の通訳派遣事業所は相談支援体制も整っていたようで学校から話があり、通訳者が中に入ることになり母が学校に行くように働きかけることになったのです。

実はその時、幸いにも、祖母も孫が言うことを聞かなくなってきていて手に余っていましたので母が学校とかかわれるようになったのです。

『手話通訳のあり方・動き方』P38 全日本ろうあ連盟出版局

祖母の良かれと思っての行動だとは思いますが、ろうの父、母の親育ちの機会を奪ってしまったのです。父、母も黙って祖母にお任せだったのです。

 さて、今回の主題です。手話言語の環境で充分な発達を遂げている小学校一年生を紹介します。

社会は、音声言語優位なのですが、家庭を中心とする育ちの環境に豊富な手話言語があったことがこの子の力になっていることを窺い知れる事例です。

この事例は、元東京手話通訳等派遣センター事務所長(元全国手話通訳問題研究会運営委員長)の故市川恵美子さんの「手話通訳なるほど講座 手話と手話通訳の力を磨く(全国手話通訳問題研究会編クリエイツかもがわ発行)P17」で紹介しているものです。

事例のタイトルは、「社会の変化の中で求められること 小1の子に通訳」です。

通訳依頼の内容は、小学校の入学説明会と学童クラブの初日に通訳を付けてほしいというものでした。両親はろう者で、普通学校に通わせながら手話で育てたいという意向を持っていました。(この自治体は学校などの通訳派遣も福祉部署が担っています。)

通訳依頼を受けた自治体は、小1の子に手話通訳派遣制度を適用できるのか?等。

次の理由で悩んだようです。

 ・手話通訳制度は成人聴覚障害者が対象

 ・教育現場で福祉施策ではない

 その結果、話し合いを持つこととなり、自治体の職員、お母さんと子ども、そして市川さんの3者が集まったそうです。

【手話言語で育つ】

子ども

3者の話し合いの場面です。

子どもは、自治体の職員の話を通訳している市川さんの手話を見ていて、わからないところがあるとお母さんを突っついていたそうです。お母さんは子どもにわかるように説明していたそうです。

すごい子どもだと思いませんか。どうしたらこんな子育てができるんだろうか。

もう一点、すごい子どもの様子が紹介されています。

 この子は、最初に通訳についた人の手話が一番いいと思っているので、今回、前に通訳してくれた人と違う市川さんが来てくれたことで戸惑いがあったようです。

 お母さんが「〇〇さんは来られないって。どうする。と子どもに聞いたら、

子どもはちょっと考えて、「通訳いないと困る」。

お母さんが理由を尋ねると、「学童に行ったとき先生の話が分からない、していいこと、いけないことがわからないから、怒られたらどうする?」と母親に聞いています。

こんなやり取りを親子とも全然声を出さないで、手話で会話をしていたそうです。

小1の子どもが、通訳が来なかったら説明がわからない。自分は困るから、通訳者に来てほしいと主張しています。手話言語の環境がなかったらこの子はこんなにすごい力を発揮していたでしょうか。

子育て 

 市川さんは、お母さんに「なぜ手話で育てたいのに、普通の学校に行かせるの?」と聞いたそうです。

おかあさんが普通学校で、そして手話言語で育てたいと考えた理由は次通りです。

 ・聾学校は同じ学年の子が3人か4人しかいない。普通学校は集団が大きく、たくさんの集団がある。

 ・私たち親は聞こえないからこの子は手話言語で育てたい。

通訳要求の広がり

 そして、手話言語通訳要求が具体的に提示されたそうです。

 ・入学式には親の通訳と子どもの通訳を付けてほしい。

 ・学校行事には通訳を付けてほしい。 Etc 

学校は、通訳がつくことについて「別に構わない」と言っていたので、自治体の担当職員はすべての部署の通訳派遣を福祉事務所が担っているので予算のことなどがあり、頭を痛めていたようです。

ろう者にとって手話日本語の環境がいかに大事なのかを知る事例でした。

聞こえること、音声日本語等、多数者優位の社会がろう者に様々な困難を背負わせている(未熟さの証明)ことに気づいていただけたでしょうか。

また、未熟な環境の中での手話言語通訳の動き方、やり方について少しは理解いただけたでしょうか。

手話言語通訳とは、手話日本語で暮らせる環境を構成する柱の一つです。

ろうの子どもが普通学校に入学したら、福祉事務所ではなく、学校が、教育委員会が子どもの発達の視点で手話日本語の環境を整えてくれるようになる時代が来ることを信じて、通訳活動にかかわっていきたいと思っています。


川根紀夫(かわね のりお)

手話通訳士。1974年、聴覚障害者福祉と手話言語通訳者の社会的地位の向上のため、手話言語、手話言語通訳や聴覚障害者問題の研究・運動を行う全国組織である「全国手話通訳問題研究会」の誕生に伴い、会員に。1976年、手話言語通訳の出来るケースワーカーとして千葉県佐倉市役所に入職。1989年、第1回手話通訳技能認定(手話通訳士)試験(厚生労働大臣認定)が始まり、1991年には、手話通訳士の資質および専門的技術の向上と、手話通訳制度の発展に寄与することを目的に「一般社団法人(現)日本手話通訳士協会」が設立され、1993年、理事に就任。日本手話通訳学会、日本早期認知症学会、自治体学会に所属。第4回JACI特別功労賞受賞者。