【第12回】手話通訳士への道「 中間まとめ 」

連載が始まり何とか1年を迎えることができました。過去の原稿を読み返し、乱暴だな。誤字脱字など目に付くな。と反省しつつ原稿書きしていた時の様子を思い起こしたり良い時間を過ごしました。
今回は、連載を振り返り、中間のまとめをしておきたいと思います。

未熟な通訳

 ここでは、私の通訳レベルの前期を紹介します。
「オギャー」と生まれた大方の赤ちゃんは、1年経つと、立ち上がり、歩くようになります。
多くの大人たちと同じ姿勢をとるようになるのです。

ことばの面では「アーアー」「ヴーヴー」「ウマウマ」といった喃語から1歳を過ぎるころには「マンマ」「ワンワン」のような一語文の世界へと広がり、その後「マンマちょうだい」「ワンワンいた」と単語を組み合わせ、言い方を広げ、認識、思考の段階が深まっていきます。(鈴木康之 日本手話通訳士協会研究紀要2003 第1回日本手話通訳士研究大会 記念講演「手話通訳者に求められる日本語」参照)

音声日本語をベースに手話日本語を学び始めたころの私のヨチヨチとした立ち姿は1歳への道を歩み始め、音声日本語をベースにしながら、手話日本語を学び、ろう者との交流の中で2語文、3語文と成長する傍ら単語を連ねて文をつくる手話言語の原則を学んだように思います。振り返ると、この過程は、手話日本語による認識、思考段階の深まりで、手話言語通訳に必要な手話言語を身につける階段でした。

敬愛する上記鈴木康之(1934年 3月-2022年10月)先生は、上記紀要の中で、音声日本語の進行形の「お父さんが新聞を読んでいる」そして、消えている状態にある「部屋の電気が消えている」の「…している」について触れています。音声日本語の特徴の一つを紹介したものです。手話日本語では進行形と状態を示すものは区別され、音声日本語のように進行形も状態を示すものも同じ「…している」と表現することはありません。

 では、音声日本語と手話日本語の特性を窺い知るとともに私の通訳前期のレベルを誤訳例から紹介したいと思います。

 私の誤訳例はあまりにも単純な誤訳なので、手話言語通訳ならではの事例を捜したところ、全国手話通訳問題研究会の前運営委員長の市川恵美子(1949年~2011年)さんが研修会などで誤訳例として取り上げていた「…だけではだめ」ですが浮かびました。

その事例は、病院で、
①今日から一週間食べたものをこの記録表に書いて持ってきてください。
②豆類は積極的に摂取しましょう。
と指導され、翌週記録紙をもって通院しました。

先生は、毎食、豆の煮もの、ごはんとみそ汁だけの記録紙を見て
先生:「毎日のおかずは豆だけですか?」
通訳者:「毎日」「ごはん」「おかず」「豆」「だけ」「?」
ろう者:「そう」
先生:「豆だけではダメだね。」
通訳者:「豆」「だけ」「ダメ」

ろう者は怒り出し、
ろう者:「先週」「先生」「豆」「良い」「言った」。「豆」「ダメ」「理由」「?」
先生:「食事はバランスが大切。色々なものを食べないとね。」
通訳:「食事」「バランス」「大切」「色々」「食べる」「必要」
ろう者:「わかる」。「豆」「ダメ」「理由」「?」

 通訳者は、ろう者が怒っている理由に気づかず、不安になり、手話通訳の派遣事務所に顛末を報告しました。

この報告から、
 通訳者は、派遣事務所の担当者と共に通訳を振り返り、原因が、豆類は良い食品だと言われたのに「豆」「だけ」「だめ」と誤訳されたことを知ったのです。

 私の通訳人生の前期は、「下手な通訳なのに上手だとほめられる」「傍にいてくれるだけでいい」からほんの少し上手になっても、この通訳者の方のように、音声日本語と手話日本語の特性の理解が浅いうえに、誤訳にも気づかない水準だったのです。

※事例は表現された単語を活字にしていますので、手話日本語が音声日本語の単語を連ねた表記になっていますので手話日本語のもつ特徴が表現できていないことはご理解ください。
 次に、私(手話通訳者)のあり方の未熟さです。

未熟な通訳者

 憲法第99条の公務員の憲法尊重義務について連載の第5回で紹介しました。憲法を遵守しますと宣誓してからでないと職務につけないことを法律(条令含む)で規定しているのです。

 このことは、憲法がめざす日本の姿を実現するために働く「行政マンのあり方」を示し、行政マンの労働目的が、憲法の描く「暮らし」の実現にあることが理解できます。

 では、行政マンは、労働目的をどのように実現しようとしているのでしょうか。
 労働目的を実現する手段として「制度」をつくり行政活動を展開しているのです。
 では、このことを社会福祉事業である手話通訳制度に置き換えてみましょう。

憲法に規定する「ろう者の自由、人権」が保障される社会の実現を目指すのが手話通訳制度で、手話通訳の担い手の労働目的といえるのです。

手話通訳制度は、手話通訳者の労働目的の具体化をはかるもので、手話通訳のあり方・やり方だと考えることができます。手話通訳者、手話通訳のあり方・やり方を具体的に展開するために「手話通訳制度」があるのだと私は考えていますが、皆さんはどのように考えますか。参考に、日本手話通訳士協会の研究紀要2004年度の藤井克徳さんの記念講演から引用し紹介します。

基礎構造改革にしろ介護保険制度と障害保健福祉施策の統合にしろ、ある目的のための手段なのです。それでは、目的は何かということです。これら制度改変の目的は、障害がある人々の幸せをどう具現化するかということです。

 制度を改正するということは、障害者分野でいえば、藤井さんが言っているように障害のある人の幸せを願ってのものだということになります。手話通訳制度とは何かと考えると、ろう者の幸せのためにあるのだということになるのです。

 ろう者福祉の制度として手話通訳制度があるからです。 私がこのように考えられるようになったのは、まだ最近のことです。言ってみれば私の通訳人生後期です。手話通訳養成事業の深化とともにあった通訳人生でした。

現在、まだまだ発展途上ですが、私が手話日本語を学び始めたころにはなかった手話言語通訳の養成カリキュラムがあります。私が手話日本語を学び始めた頃は、「現場で学べ!!」方式でしたので、通訳に必要な「力」を現場での客観性に乏しい個人的な経験を出し合い、ろう者や通訳仲間と意見を交換することで必要な技能を身につけてきたのです。

 当然のことですが、手話通訳の担い手の育成に係ることも通訳技能を学ぶ大切な時間となっていました。 体系的な養成課程がない中、未熟な私が何とか通訳を続けられたのは、ろう運動の手話通訳のあり方をめぐる歴史的蓄積と手話通訳者集団の存在でした。この恵まれた環境のおかげだったのです。

 私の50年超える手話言語通訳人生の前期は、傍にいてくれるだけでいいと言う「ろう者」の存在がその象徴です。未熟な社会が作り出す「障害」、「手話言語の否定」そして私たち同様「生活者としての困難」の3つの困難に気づき、「傍にいてくれるだけでいい」と言わせる社会のあり方に疑問を持ち、偏見、差別意識に向き合う自分がいたのです。 この時期が、その後の通訳人生に大きな影響を与えたのです。


 以上まとめになっていないまとめでした。
 次回からは、手話通訳事業がイメージできるように手話言語通訳を具体的に紹介しながら私の成長に触れたいと思いますので、これに懲りずにお付き合いいただければ幸いです。


川根紀夫(かわね のりお)

手話通訳士。1974年、聴覚障害者福祉と手話言語通訳者の社会的地位の向上のため、手話言語、手話言語通訳や聴覚障害者問題の研究・運動を行う全国組織である「全国手話通訳問題研究会」の誕生に伴い、会員に。1976年、手話言語通訳の出来るケースワーカーとして千葉県佐倉市役所に入職。1989年、第1回手話通訳技能認定(手話通訳士)試験(厚生労働大臣認定)が始まり、1991年には、手話通訳士の資質および専門的技術の向上と、手話通訳制度の発展に寄与することを目的に「一般社団法人(現)日本手話通訳士協会」が設立され、1993年、理事に就任。日本手話通訳学会、日本早期認知症学会、自治体学会に所属。第4回JACI特別功労賞受賞者。