【第4回】今日も苦し紛れ!放送通訳のブースから「~balance the budget~」
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放送通訳の仕事を始めてから一番気にかけているのは、「必要以上の無音状態を作らないこと=放送事故」です。放送事故は放送局によって定義が異なるようですが、ラジオの場合、無音状態が「5秒、13秒、20秒」続くと放送事故だそうで、総務省に報告の義務があるのだとか。大ごとになりますので、テレビの同時通訳もやはり気を付けなければいけません。
となると、いかに無音状態を回避するかが現場では問われることになります。ただし私の場合、CNNでは不明単語が出てくることなど日常茶飯事。「今日の放送通訳シフトでは、わからない単語はゼロだった!」などあり得ないのですね。つまり、デフォルトが「未知単語アリ」ということですので、わからなければ文脈から想像してざっくりとした、かつ、無難な単語を言うしかないのです。
会議通訳であれば隣にいるパートナー通訳者にヘルプを求めることもできます。しかし、放送通訳現場は基本的に一人体制。途中で体調不良になっても中座はできませんし、難解ボキャブラリーが出てきても自力で乗り切るしかありません。ハラハラドキドキの現場ですが、そのスリルを味わえるように(?)なってくると、刺激がたまらくなるのでしょうね。
さて、今回ご紹介する「苦し紛れ」エピソードは、5月4日のシフトで担当したCNN Primetimeという番組。その日はAbby Phillipという女性キャスターが担当していました。彼女はハーバード大学を卒業してからワシントン・ポスト紙、ABCニュースを経てCNNに2017年に入社。政治問題を専門としており、インタビューでも堂々と質問を投げかけています。
この日の番組ゲストはニューヨークのアダムス市長。現在、アメリカでは中南米からの移民が国境を越えて入ってきています。その状況に業を煮やした南部の州が移民をバスに乗せてニューヨークへ強制的に移送させるなどの措置を取っているのです。ニューヨーク市ではテキサス州からの移民が突如として増えており問題となっています。どう対処するのか、ニューヨーク市自体の治安対策はどうなのかが焦点となっていました。
番組では「ニューヨーク市の安全はどうなるのか?」との問いがアダムス市長に投げかけられました。すると、市長は、
“We had to find the dollars so that we can balance our budget.”
と返答。ニューヨーク市は様々な課題を抱えていますが、今回の移民問題に関しても予算を拠出しなければならないという光景が私の脳裏に浮かびました。そこで今回の同時通訳で私は、
「お金をかき集めて何とか予算をトントンにしていかなければいけないわけです。」
と訳したのです。
「トントンにする」という語を使うべきか一瞬迷いました。でも、「バランスをとる」と言った場合、口が上に開いたりすぼめたりとなります(ぜひみなさん、実際に「バランスをとる」と音読してみてくださいね)。その動きが私には煩雑であったため、より言いやすい「トントンにする」を用いたのでした。
さらにもう一つ。番組内でアダムス市長は問いの趣旨がわからず、
”I don’t understand the question.”
と聞き返しています。この部分の私の訳は「つまり?」の一言だけ。「質問の意味がわかりません」と長くなると、時間がかかってしまうからです。
とは言え、私の心の中で「おお、ここを『つまり?』とコンパクトに訳せてラッキー」などと思ってしまうと、そこで集中力が飛び、次のことばが抜けてしまいます。最後の最後まで気を緩められないのが放送通訳の世界です。
柴原早苗(しばはら さなえ)
放送通訳者、獨協大学非常勤講師。上智大学卒業。ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言、大統領就任式などの同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも担当。ツイッター(@Addington76)も日々更新中。