【第15回】今日も苦し紛れ!放送通訳のブースから「名詞化で短縮」
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放送通訳の最大の特徴。それは「何が出てくるか本番までわからないこと」に尽きます。会議通訳の場合、事前にテーマが告知され、業務日当日に向けて猛勉強できますよね。単語リストを作成し、登壇者のプロフィールをおさえ、動画サイトや著作などをチェックしておくなどなど。やることは山積みですが、この予習部分さえしっかりとおこなっておけば、当日はよほどの「脱線」が無い限り、対処できると言えるでしょう。
しかし、それが通用しないのが「放送通訳」。何しろニュースですので、緊急報道が入ることなどしょっちゅうです。私はCNNの早朝シフトに入ることが比較的多いのですが、この場合は前夜のCNNを視聴し、さらに早起きしてチャンネルを合わせます。「今日はコレとアレのニュースがトップかな」とあたりをつけて自宅を出発。しかし、スタジオに到着するや、Breaking Newsになっていたりするのです。それまでの予習や山掛けはどこへやら、となります。
CNNの場合は2名の通訳者で30分ずつ同通を担当します。スタジオに入るのは自分一人だけですので、聞き取れない単語があっても自力で乗り切らねばなりません。お手洗い退席はもちろんNG。しゃっくりやくしゃみもご法度です。緊張感を持って臨む仕事でもあるのです。
一方、国際会議同時通訳の場合は10~15分で交代をします。よって、放送通訳の30分は長く聞こえますよね。確かにそうなのですが、途中にCMが数回入るため、多少は息抜きができます。もっとも、CM前に”After the break …”と前置きして予告がなされるため、CM中も次のトピックを調べることになり、気が抜けません。
とにかく高濃度(?)エネルギーが必要とされるこの仕事。ゆえに私の場合、本番中はなるべくスタミナ切れをおこさないよう試行錯誤を続けています。前回の本コラムでは「四字熟語で切り抜けること」をお話しましたが、もう一つ工夫ポイントがあります。それは「文章」ではなく「名詞化」してしまう、ということ。具体例を見てみましょう。
今回取り上げるのは4月10日(日本時間)早朝に放映された”First Move with Julia Chatterley”という政治経済番組。ジュリア・チャタリーはCNNのNY支局に勤めるイギリス人アンカー。ロンドンのモルガン・スタンレー勤務を経てブルームバーグやPBSでビジネスを担当してきました。実は私が留学したロンドン大学LSEの出身でもあることから、個人的には親近感を抱いているキャスターです。
この日の番組ゲストはサントリーホールディングスの新浪剛史社長。番組インタビューでは、日本の労働と賃金アップについて取り上げられていました。その時のジュリアの質問がこちら:
“You flew the flag in the beverages business with your 7 percent rise.”
これを自動翻訳ソフトにかけると、
「7%の上昇で、飲料業界で旗を掲げました。」
となります。ここで話題となっていたのは、「ベア(ベースアップ)」。今春、日本では労組の要求を満額回答する企業が続出しましたよね。サントリーもその一つ。組合員平均でおよそ7%の賃上げが決まっています。こうした背景事情を知っておくことも大切です。
上記で出てくる”fly the flag”ですが、辞書を引くと複数の語義が出てきます。「支持を表明する」「態度を明らかにする」「(国際大会で)メダルを獲得する」「信念を貫く」などなど。一方、”fly a flag”という不定冠詞バージョンもあり、こちらは「旗を掲げる」です。
今回私がこのフレーズを聞いたときに思い浮かんだ訳文は、
「7%の上昇で、旗振り役となられましたね」
でした。「旗振り役」は厳密に訳せばflag-bearerという名詞です。ただ、なぜここでこの訳語にしたかと言うと、サントリーがベアを表明して以降、満額回答をする企業が続いたからです。よって、私の中では「サントリーがベアの先陣を切った企業の一つ」という位置づけになったのですね。
もう一つの理由。それは同通で「旗を掲げる」(7文字)と口にするのが煩雑だからでした。「旗振り役」は6文字です。たった一文字違いですが、口の開閉は小さくて済みます。こうして「主語・動詞」の訳文を「名詞化」することで、端的に状況を表せると私は感じているのです。
まだまだ工夫の日々ですが、何しろ数秒間の沈黙は「放送事故」につながります。今日も黙りこくることなく、スタジオを後にできてホッとしています。
柴原早苗(しばはら さなえ)
放送通訳者、獨協大学非常勤講師。上智大学卒業。ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言、大統領就任式などの同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも担当中。