【第11回】今日も苦し紛れ!放送通訳のブースから「基本動詞の難しさ~keepを例として~」
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私と通訳の出会いは今からさかのぼる事はるか前。大学時代に「少し上級レベルの英語授業を」と履修したのが通訳講座でした。他学部でしたが当時社会学科に在籍していた私も履修単位として認められたのですね。当時はfree conversationを謳う英会話スクールが華やかなりし時代。でもそれでは物足りないため受講をしたところ、一気に魅了されました。とは言え、レベルがあまりにも高く、クラス内では落ちこぼれでした。
それでも通訳の世界をもっと知りたいと思い、担当講師が指導していた外部スクールにも入学。そこで出会ったのが松本道弘先生です。
松本先生は、日本を一歩も出ることなく、アメリカ大使館で同時通訳を務め、その後、NHKの英語講座をお持ちでした。先生は、その通訳スクールが企画した講演会にいらしたのです。著書やテレビで存じ上げていただけに、さぞコワイ先生かと思っていたのですが、先生のお話は実に楽しく、知的好奇心を刺激されました。そこで講演会終了後、思い切ってご挨拶に伺い、セミナーの感想をお伝えしたのです。すると先生は「なるほど、キミの話も面白いねえ。ぜひ僕が主催する英語塾・弘道館にいらっしゃい」とお誘いくださり、私の弘道館通いが始まりました。
弘道館の参加者は実に多様。社会人、学生、主婦などなど。職種や背景もさまざまでしたが、誰もが英語力を上げたい、ディベートができるようになりたい、教養を身につけたいという気持ちで参加していました。先生の指導を受けながら感じたのは、「英語や通訳というものは、語学力だけでは太刀打ちできない」ということ。背景知識がすべてと気づかされました。
もう一つ印象的だったことがあります。それは先生が基本動詞、とりわけgiveとgetに注目しておられたことでした。すでに「GiveとGet辞典」はベストセラーとなっていたのです。
先生は、こうした基本動詞や、動詞に前置詞をつけた「句動詞」こそ、日本人はしっかりと勉強すべきと述べていました。なぜならネイティブと話していると、そうしたフレーズがたくさん出てくるからなのですね。確かにget along withやgive in、get overなど、英語には句動詞がたくさん。他にもmakeやtake、letといったものがあります。
あれからずいぶん年月を経て私は今にいたるわけですが、現在、私自身、CNNの同通現場ではこうした基本動詞に悩まされること数知れずです。とりわけ名物アンカーAnderson Cooperはこうした句動詞をよく使います。もともと早口のアンダーソンがこうした表現を駆使しながらゲストと丁々発止やり合う様子は、視聴者として観る分にはエキサイティングです。しかし、同通ではとうてい追いつけません。どの部分を最低限残してわかりやすい日本語にするかは、常に悩むところなのです。
さて、今月ご紹介するのは、基本動詞のkeepを使った表現。とりたてて難しい句動詞ではなく、keepそのものの訳し方です。早速見てみましょう。
Hamas is the shadow organization that is keeping that information from us.
こちらは昨年11月末に出てきたニュース。イスラエルが武装勢力ハマスの攻撃を受けたときのもので、上記文章を述べていたのはイスラエル軍報道官のスピールマン少佐でした。質問を投げかけたのは、元ホワイトハウス担当記者で現在はThe Sourceという冠番組を担当するKaitlan Collins記者です。質問は「人質解放第三弾の名簿をイスラエル当局は手にしているのか?」というもの。これに対してスピールマン少佐は「まだもらっていない」と答え、それに続けて上記の文章を述べたのでした。
keep A from Bは辞書で調べると「AをBから秘密にしておく」とあります。よってこの英文も辞書的に訳せば、「ハマスはその情報を隠している、影の組織です」となるでしょう。
ただ、同時通訳には時間的制約があります。さらに「情報を隠している」は口の開閉が慌ただしい!みなさんもぜひここで「情報を隠している」と言ってみて下さい。「隠している」は母音の部分をアルファベットにすると”a-u-i-e-i-u”となり、口が縦横に忙しく開きます。
このバタバタ感を避けるために私が意訳したのがこちら:
「そういった情報をハマスは握っているんです。」
時間的制約ゆえ、「影の組織」は落とさざるを得ませんでした。ただ、「握っている」は口の開閉母音で示せば、”i-i-e-i-u”です。口は横開きがほとんどです。
こうした苦肉の策の省エネ(?)通訳ですが、とりあえず話者のイイタイコトが通じれば合格点。keepのような基本動詞だからこそ、工夫が難しい!でもそのチャレンジングさが放送通訳の醍醐味なのですよね。
柴原早苗(しばはら さなえ)
放送通訳者、獨協大学非常勤講師。上智大学卒業。ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言、大統領就任式などの同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも担当。ツイッター(@Addington76)も日々更新中。