【第10回】フリーランス通訳と子育ての両立

岩瀬和美さん

リレー・コラムをお読みの皆さん、こんにちは。

こちらのサイトに訪れる皆さんは老若男女さまざまで、これから通訳を目指す方から既に何年も経験を積んでいらっしゃる方まで、色々な方がいらっしゃるかと思います。それぞれの立場で抱えている課題は千差万別だと思いますが、私、岩瀬和美は、「フリーランス通訳と子育ての両立」という観点からこのコラムを書いていきますね。

通訳者への道のり

学生時代の夢は「文芸翻訳家」でした。幼い頃から洋楽が好きで、海外から音楽雑誌を取り寄せ、辞書を片手にお気に入りのバンドの情報を集めたり、レコード(CDじゃありませんよ)についている歌詞を訳したり。将来はこんな素敵な文章を書ける人になりたいなと思っていました。

大学卒業後、出版翻訳専門の学校に通い、その後の翻訳者デビューを夢見ていましたが、地道な下積みが必要な業界ではなかなか仕事は回ってこない。先生の下訳をしても生活費にはなりません。そこで、同じ翻訳でもお金になる特許翻訳に方向転換。毎日何十枚という明細書を翻訳することで、英語の基盤が構築されました。

そんなある日、ひょんなことから新たに立ち上げる外資系企業のアメリカ人役員秘書をやってみないか?というオファーをいただき、海外生活経験のない私は「外国人と話してみたい!」という単純な理由で転職。秘書のはずだったのに体良く使われ、気がついたら一緒に会議に入り、役員の隣りで通訳をしていました。

あれから四半世紀。結婚、出産、転居等々、さまざまな課題を乗り越えながら通訳として仕事を続けています。

第一次子育て大戦

社内通訳者として数年を経て、”そろそろ独立してもいいかなぁ”と考え始めていた頃、結婚、妊娠を機に独立を決意しました。独立といっても、それまでの雇用者と外注契約を結ぶというラッキーなスタートでしたので、仕事に対する不安はありませんでした。妊娠8カ月まで仕事を続け、出産後は必要に応じで会社から連絡をもらい、発生ベースで子どもを預け、仕事に向かうという恵まれた環境にありました。そんな生活を1年続け、本格的に仕事に復帰。ところが、ここからが大変でした。

朝から晩まで休む暇はゼロ。仕事を終えて保育園にお迎えに行き、一通りの家事を終え、子どもと遊び、寝かしつけ、さて明日の資料読み。だいたい深夜を回ります。睡眠時間は確保できないし、仕事のある日に限って子どもが熱を出す・・・等々、それまで体験したことのない、予測不能かつ想定外な事象が次々と襲ってくる。確かに可愛い息子です。目に入れても痛くないどころか、ほんと、食べてしまいたいくらい。でも正直、被害者意識に苛まれることもありました。周りの通訳者と自分を比べ、「もっと仕事したいのに」と恨めしい気持ちになったことも…。当時は、キリキリと心に余裕のない人間だったのではないかと思います。

幼少期のお子さんを抱えている通訳者の方へ

とにかくこの時期はお金を惜しまないことです。子どもに、自分に、リソース(ヒト・モノ・カネ)を使いましょう!

子どもを安心して預けられる人を見つけ、(言葉は悪いですが)投資しましょう。この投資にはベビーシッターさんはもちろん、ママ友や自治会の皆さん、そして他の通訳者とのおつきあい(会食とか)、家事代行サービスなども含みます。発熱時等の子どもの緊急対応はもちろん、自分の心の健康のためにも、この時期は投資の時期だと割り切りましょう。幸せな家庭はママの笑顔から。自分の心にゆとりを持ちましょう。

第二次子育て大戦

さて、幼少期ならではの問題を乗り越え、子どもが小学生になると子育ては一旦落ち着きを迎えます。この時期は、それまで抑制していたワーカホリックな性分が再燃した時期でした。学校や学童保育に甘え、家族に多少の犠牲は強いても自らの欲望を優先し、楽しく働いていました。サミットや首脳会談のお仕事をいただいたのもこの頃で、私はすっかり有頂天になっていました。

そんな私を待っていたのは息子の思春期でした。自我が形成されるに従い、自分より仕事や自らの楽しみを優先する母に対し、息子は反抗心を表すようになってきました。そんな寂しい心になかなか気づいてあげることができず、反抗する息子に苛立つ毎日。とにかく対立する日々。具体例をあげるのは息子の名誉のためにここでは控えますが(笑)、お互いが全身全霊で戦っていました。

そして東日本大震災。我が家はインフラをやられ、しばし実家に避難することに。果たして、この避難先の生活が気に入った息子は転校を希望しました。

それまで息子の反抗期に向き合えていなかった私。これは最後のチャンスかもしれない!と腹を据え、息子と二人東京を離れることを決意しました。

その後一年ほど仕事は控え、息子と向き合い語り合いました。その甲斐あってか、徐々に息子との関係は良好になり、私も仕事を再開。地域のエージェントを探し、地方でできるお仕事を紹介してもらったり、自宅からの電話会議や短時間の東京での仕事をお受けしたりの3年間。朝は4時起き、3食作って始発の新幹線で東京に向かい、仕事を終えたらダッシュで帰宅、家事やら学校の対応やら、息子との会話の時間やらでベッドに入るのは午前様。翌日の新幹線では爆睡です。

それでも毎日のようにお仕事をいただけたのは、応援してくださったエージェントやクライアントさん、通訳仲間の支援があってのことでした。感謝しています。

思春期の子どもを抱えている皆さんへ

これはすべてのワーキングマザーに言えることかもしれません。この時期だからこそ築ける親子関係があります。この時期を逸したら築けない親子関係があります。お仕事も大切ですが、ちょっと一息ついて、お子さんと向き合う時間を作ってみても良いのではないでしょうか? かけがえのない関係が築けるかもしれません(保証はできませんが、後悔はないかも)。

少し時間があったらエージェントやクライアントさんを訪問してみるとか、いつもはメールで済ましていることも電話してみるとか、ちょっとだけ気をくばって仕事関係のおつきあいさえちゃんと良好に維持していれば、どんなに遠い地に住んでいてもお仕事の依頼はあります。

妥協ではなく自分と折り合いをつけて、しばし一呼吸してみましょう。

さて、4年間の山あり谷ありの日々を過ごし、息子の旅立ちとともに私は一昨年東京に戻ってまいりました。

息子は今16歳。ニュージーランドで高校生活を謳歌しています。今となっては理想的な母子なのではないかと自負していますが、これもあの時に腹をくくって彼と向き合う時期を作ったからこそ。

そして、そんな時を過ごせる選択肢を与えてくれたのは、「フリーランス通訳」というキャリアです。フリーランスの仕事は、場所を選ばず継続することが可能です。海外で暮らし、年に何カ月か日本に戻り仕事をしている通訳者もいます。それもこれも、まわりの支えがあってこそ。

辛い時期に心の支えになってくれた友人、ご近所さん、そして何より理解してくださったエージェントやクライアントの皆さん。感謝の言葉は尽きません。

今はお仕事をいただけることがただただ嬉しくありがたく、一つひとつの案件を大切に対応していこうと日々を暮らしています。

そして何より仕事が楽しい。ワークはライフ、ライフはワークである私にとって、仕事ができないことは人生を失うようなもの。抑制される時間があったからこそ、働けるという喜びは一入です。そんな気持ちの表れも、次の仕事につながっているのかもしれません。

子育てしながら通訳ができるのか心配なあなたへ

はっきり言いますが、決して簡単ではありません。評価いただけるパフォーマンスができるだけの実力をつけていること、これは最低限の要件として、その上でエージェントやクライアントからの信頼、通訳仲間のサポートを得られる人間力をつけることが大切です。

クライアントの評価はもちろんですが、一緒にお仕事をするパートナーから、「XXさんとまた一緒に組みたい!」と言ってもらえるかどうかがエージェントの評価につながることもあります。

それは即ちコミュニケーション能力であり、空気を読む力であり、そして何より「笑顔」です。

第二次子育て戦争がなければ気づいていなかったことが沢山あります。

その全てが通訳者として、そしてなにより一個人として私の肥やしになっています。

すべてはうまくいっている

人それぞれ置かれている状況は違いますし、私の経験やアドバイスがすべての読者に当てはまるわけではないと思います。でも、きっと皆さん一人ひとり、何らかの試練を迎える時があるのではないでしょうか?

そんな時、私はある映画で出会った言葉を心の中でつぶやきます。「すべてはうまくいっている」

みなさん、笑顔で乗り切りましょう!

岩瀬和美さん

Profile/

会議通訳者。大学卒業後、出版翻訳者を目指すが、出版翻訳のみでは生計を立てていくことが難しく、国際特許事務所で特許明細書翻訳業務を行う。のちに某携帯電話会社の立ち上げに際し日本参入した米国企業の社内通訳を経て、独立。フリーランス通訳者となる。

企業や政府関係の会議、セミナー等の通訳に加え、美術展やファッション等、芸術系の仕事も多い。得意分野は金融、経済、IT、特許。スポーツ国際親善試合のスタジアムMCを含め、バイリンガルMCとしても活動している。