【第12回】通訳なんでも質問箱「 不利な契約条件は交渉するべきか」

「通訳なんでも質問箱」は、日本会議通訳者協会に届いた質問に対して、対照的な背景を持つ協会理事の岩瀬和美と関根マイク(プラスたまに特別ゲスト)が不定期で、回答内容を事前共有せずに答えるという企画です。通訳関係の質問/お悩みがある方はぜひこちらからメールを。匿名で構いません。

Q.エージェントに登録する際、業務委託契約書に署名することを求められるのですが、フリーランス・個人事業主は立場が弱く、不利な条件を提示されやすいと感じています。こちらに不利と思われる契約書があったら、交渉する姿勢で臨むべきでしょうか。または、あえて交渉はせずにリスクを受容するか、適当な理由を付けて断るのが「賢い」のでしょうか。

たとえば管轄裁判所はほぼすべて、エージェントの所在地に近いところが指定されるものと理解していますが、結果、地方在住の通訳者が首都圏のエージェントに登録する場合など、通訳者にとって不利になることが多いと感じます。これを理由に契約を結ばなかったことはありませんが、この点は契約において一般的なものとして受け入れるしかないのでしょうか。通訳者にとって、エージェント様とのある種の情緒的なつながりや信頼関係というものも重要ではないかと感じています。登録のスタート地点から交渉を試みるとかえって「面倒くさいやつ」と思われ、広くはない業界内でいたずらに自分の評判を落とすことになるのではないかと懸念しています。

岩瀬和美の回答

フリーランス通訳者とエージェントの間には通常2種類の契約が存在します。

ひとつは今回ご質問いただいている業務委託契約書です。これは基本合意という位置付けで、委託業務の内容や料金体系、禁止事項、損害賠償、発注方法などについて、双方の合意を確認するものです。

フリーランスの立場が弱いと言われる業務委託契約ですが、公正取引委員会を中心に業務委託契約に関するガイドラインを公表するなど、政府も改善に乗り出しています。こうした動きはここ数年私たちの働く環境に違いをもたらし始めていると実感しています。最近では某エージェントが通訳者の指摘を受け、超過料金を改定しました(文字数の制限上詳細割愛します)。

同時に、自らが不利な立場に立たされないよう自己防衛をするのも事業主としての責任です。疑問に感じるところがあったら署名する前に確認する、必要であれば交渉するのは事業主として当然の行為だと思います。

そしてこれを補完する形で個々の依頼ごとに存在するのが、発注書や業務依頼書のような「個別契約書」になります。業務内容が詳しく記載されていないものもありますので、逐次・同時・ウィスパ・生耳等の通訳形態、何名体制なのか、支払い発生はどのタイミングなのか等の条件確認、場合によっては交渉が必要になります。ここでは質問者さんご思案の通り、ある種の情緒的なつながりや信頼関係が重要になります。話の運び方、自分が譲歩できるライン、相手に譲歩させられるラインを見極め、友好的に決着できることが望ましいのですが、実績や通訳者の希少性などビジネス上の力関係が絡んできます。登録のスタート地点であまり強く自己主張するのは難しいのかもしれません。

ただ、交渉をしたからといって「面倒くさいやつ」と思われるとか、業界内でいたずらに自分の評判を落とすということはないと思いますよ。問題は「交渉のやり方」です。エージェントやクライアントから信頼を得ることができれば、対等な立場で交渉を進めることができます。一件一件のお仕事を丁寧に務め、信頼される通訳者になることが何よりの交渉力なのではないでしょうか?

彼を知り己を知れば百戦殆うからず ー 孫子

関根マイクの回答

法律に違反するような条件であれば当然問題ですが、交渉事には各当事者の立場や主張があります。通訳者が「これは通訳者が不利なので嫌だな」と思う条件も、エージェントの視点から見れば「信頼関係もできていない、実力もまだよくわからない人材なのだから最初はこれくらいで当たり前」となってもおかしくないですし、これは悪いことでもありません。ビジネスの世界では当たり前のことです。聞いたことがないスタートアップが開発した「優れた」掃除機に、ダイソンの掃除機並みの金額を払いますか?

私は不利な条件を戦略的に受け入れることが今でもありますし、逆に絶対に譲らない条件もあります。交渉には①自分の市場価値の正確な評価と、②タイミングがとても大事。私自身を例にすると、私は法務のある特定分野ではとても人材価値が高いので、交渉においては私の主張はほぼ全部受け入れてもらえます。私もエージェントも、この分野では需要に対して供給がかなり不足しているのを理解しているからです。一方、たとえばIR(investor relations)分野は対応できる通訳者の数が多いので、私の人材価値は他の通訳者と同等か、それ以下になる場合もあるかもしれません。

交渉のタイミングも大事。自分の都合しか考えないで交渉をしかける通訳者もいるようですが、交渉は相手あってのものですから、エージェントが納得できるような状況を見極めて交渉しましょう。たとえば複数のクライアントから常に指名が入るようなって1年が経過したとか。圧倒的信頼を得ている通訳者の主張を無視するわけにはいけませんよね。

「面倒くさいやつ」の点ですが、私が知る限り、お金に強いこだわりを見せる通訳者は積極的に使わない方針のエージェントは確かにあります。これは各社の方針なので、別に悪いことではありませんが。

最後に一つ。一度契約を結んだあとでも、数年後に条件を見直して再契約するのもアリだと私は考えます(実際にしたこともあります)。ただし、エージェントとしっかりした信頼関係を構築しつつ、自分の市場価値を上げる努力を忘れないことが前提条件です。


岩瀬和美

日本会議通訳者協会理事。1992年通訳業務を開始。IT、金融、マーケティング、教育、芸術、ファッション、 スポーツ等多様な分野に対応。バイリンガル司会、 ウェビナーのファシリテータも行う。

関根マイク

会議通訳者。日本会議通訳者協会理事。得意分野は政治経済、法律、ビジネスとスポーツ全般。午後2時頃からエンジンがかかってくる遅咲きタイプの通訳者。現在は主に会議通訳者として活動しているが、YouTubeを観てサボりながらのんびり翻訳をするのも結構好き。著書に『通訳というおしごと』(アルク社)、『同時通訳者のここだけの話』(アルク社)がある。