【第6回】この台詞に注目!映像翻訳の楽しみ方『イニシェリン島の精霊』
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映像翻訳者の松本陽子です。配信作品を中心に字幕翻訳と吹替翻訳を手がけています。映画を見るのが大好きで、2022年は映画館で190本ほど鑑賞しました。動画配信サービスでも多くの作品を見るなかで、すばらしい訳に出会い、「この見事な技術を身につけたい」と思ってきました。そんな日本語訳を、ご紹介します。
第6回の作品は『スリー・ビルボード』のマーティン・マクドナー監督が手掛け、第95回アカデミー賞において8部門、9ノミネートされた映画で、字幕翻訳は牧野琴子さんが担当しています。
『イニシェリン島の精霊』予告
舞台は1923年、アイルランドの孤島、イニシェリン島。この島で暮らす平凡な男パードリック(コリン・ファレル)は、ある日突然、長年の友人であるコルム(ブレンダン・グリーソン)から絶縁を告げられます。戸惑いながらも妹のシボーン(ケリー・コンドン)や風変わりな隣人ドミニク(バリー・コーガン)の力も借りて、何とか元の友情を取り戻そうとしますが、事態は思わぬ方向に進んでいきます。
さて今回取り上げるのは、島にあるパブでパードリックとドミニクが会話するシーン。パードリックは、急に絶縁を言い渡してきたコルムの気持ちが理解できず、「ウイスキー、もう一杯」とやけ酒をあおります。その姿を見たドミニクが、こう言います(48:31)。
原文)
Jeez, you’re going at it at a fair oul lick tonight, Padraic..
字幕)
今夜はガンガンいくね
映画館でこの映画を見た時、アイルランド英語のアクセントが強かったため、かなりの部分が聞き取れなかったのですが、原文を見てもまだ意味が分からない箇所が複数ありました。これはそのうちの1つです。
まず「oul」ですが、私の持っている英和辞典には記載がありませんでした。そこでオンラインの英英辞典であるMerriam-Websterで調べますと、「OLDを意味するアイルランド英語」であることが分かります。さらに、「fair old」を調べます。これは英和辞典でも載っていますが、「〈程度・数量・力・収入などが〉かなりの」という意味です。というわけで「今夜はずいぶんたくさん飲むんだね」という訳になり、ドミニクのキャラクターに合わせて「ガンガンいく」という表現にした、すばらしい字幕です。
この作品では多くのアイルランド英語が学べます。おなじみのFワードも「feck」ですし(Merriam-Websterですとスコットランド英語との記載がありますが)、「Grand.」が「元気だ」を意味する「Fine.」の代わりに使われています。また、マーティン・マクドナー監督の脚本は秀逸で、一見すると単純に見える中高年男性のケンカを通して、複雑で重厚な人間ドラマを描いています。これ以外にも役に立つ台詞がたくさん出てきますので、ぜひ見てみてください。
ちなみに現在は授賞式シーズンですので、配給会社が公式に脚本を公開しています。今のうちにダウンロードしておけば、いつでも読むことができます。
次回もどうぞよろしくお願いいたします。
『イニシェリン島の精霊』ディズニープラス他で配信中
https://www.20thcenturystudios.jp/movies/banshees-of-inisherin
字幕翻訳:牧野琴子さん
大学卒業後、レコード会社や映画配給会社に勤務。アメリカに1年留学後、レコード会社で働きながら映像翻訳学校で学び、退職後はフェロー・アカデミーのアンゼたかし氏のゼミに通う。2017年から英日の字幕と吹替を手がける。Twitter