第4回JACI特別功労賞 受賞者コメント

名誉ある特別功労賞の受賞にあたり、まず貴協会関係者のみなさまに心よりお礼申し上げます。

身に余る光栄な出来事に恐縮するとともに、戸惑いがありましたが、貴協会の決定を真摯に受け止めるべきだとの家族や手話言語通訳関係者の声から受賞を決断した次第です。

また、手話通訳士としての「私」があるのは、ろう者の権利保障を目指す「ろう運動」、手話言語の認知を求める「手話運動」、ろう者が自らの言語で自由に生きるために必要な手話通訳の質の向上と制度化を目指す「手話通訳運動」を基盤とし、ろう者はじめ多くの手話言語関係者の励ましと支えの賜物なのです。

したがって、今回の受賞は、ろう者や手話通訳士(者)全員に対する受賞でもあると勝手に思っています。

さて、私のことに触れてみたいと思います。

私の両親はろう者でした。隣に祖母と住んでいた伯父夫婦もろう者でした。

約100坪の敷地に2軒の家があり、そこにはろう者が4人、きこえる者は私と祖母の2人で、我が家の敷地に限ってみるとろう者が多数派でした。にもかかわらず私は、親がろう者であることを知られたくなく、学校からの授業参観等の通知は捨てていたものでした。小学生のころ友達が川根の母ちゃんは「つんぼ」か?と聞かれ、そうだと答えられない自分がいました。中学生のころには近所の人が、「紀夫ちゃん(私のこと)の親は聞こえないから大学にはいけないね」と言いました。私は素直?!にそうだと思ったのです。お金がない無いからではなく「ろう者」だからだと思ったのです。ゆがんだ人間観、差別意識と偏見にまみれた私がそこにいたのです。

そんな私があるできごとから1971年(1970年度)、千葉県ではじめて開かれた全20時間の「手話奉仕員養成講座」(現在の手話奉仕員養成カリキュラムでは80時間)を受け、手話奉仕員として登録後、手話通訳活動に従事したことが手話通訳の担い手としての第1歩でした。

当時、手話通訳を担っていたのは僅かな「ろう学校」の先生で、警察、裁判などの分野に限られ、いわゆるコミュニティ通訳などは存在していなかったのです。

そんなころ駆け出しの手話奉仕員となり、50年を経た今日、ろう者の望む社会制度から見るとまだまだ不十分ながらも手話通訳制度、手話通訳士の資格制度に発展してきたのです。

振り返ってみるとろう運動の成果の一つであるこの手話奉仕員養成講座は、今日の手話通訳制度の出発点となったもので、社会的意義の大きさに驚かされます。

手話通訳は、ろう者がどのような人々とかかわり、どのような社会で生きているのかということと切り離して考えることはできません。

そこで、私が学んできた手話通訳活動の基盤について紹介します。

私に棲みついていた差別意識や偏見は、この社会を構成している人々や社会の意識としても存在し、ろう者の生活に様々に困難を強いているからです。

個々の意識や社会意識について漫画家の山本おさむさんの著書から引用します。

「いわば自然に、無意識のうちに彼らを劣った人間とみなし排除してきたのである。それは私たちが歴史の中で積み重ね、醸成してきた、いわば社会意識であったろう。障害者を能力のない者と見なし排除する。このような障害者観は、長い時間を積み重ねて作られ、受け継がれて今日に至っているのである。そしてわれわれの意識の中にはもちろん、民法や道路交通法~中略~の中にまでその痕跡を残しているのである。(「どんぐりの家」のデッサン 岩波書店P93 2018年)

障害者を排除する社会意識が法律にまでになった典型例は、不良な子孫の出生を防止することを目的とするいわゆる「旧優性保護法」(1948年から1996年)問題です。

このように障害者観に由来する問題が一つ目です。

二つ目は、言語の問題です。言語といえば音声言語を意味し、手話言語を否定してきた歴史があります。その典型的な事例として、ろう児に対する教育を聞こえることを前提としている音声言語による教育(口話法)を推し進めてきたことがあげられます。

1880年イタリアのミラノで開催された第2回聴覚障害児教育国際会議で、世界中のろう者のための教育プログラムで手話の使用が排除されたのです。

この排除が解禁されたのは2010年7月19日、カナダ・ブリティッシュコロンビア州バンクーバーの第21回聴覚障害教育国際会議で、手話の使用を排除した誤りを次のように認めています。

世界中のろう者の教育や生活に影響を与えることになるいくつかの決議を行った。この決議によって、次の事項が生じた。 

•世界中のろう者のための教育プログラムで手話の使用が排除された。 

•世界中のろう市民の生活に不利益がもたらされた。 

•世界の多くの地域や国々の教育上の施策や立案におけるろう市民の排除につながった。 

•就業訓練、再教育などキャリア開発の分野で、政府の立案、政策決定、財政的援助にろう市民が参加できなくなった。 

•ろう市民がさまざまなキャリアで成功する能力を阻み、多くのろう者が自分の夢を追いかけることができなくなった。   

•多くのろう市民が、自分の文化や芸術性を十分に発揮して各国の多様性に寄与する機会を阻んだ。 

(2010年掲載全日ろう連和訳のWFDニュースレターより)

ろう者が負っている障害は、「聴覚障害」と「言語の否定」という2重にはりめぐらされた障害を負っていることにその特徴があります。ろう運動は、優性思想と劣等処遇意識、そして手話言語の否定の2重の排除と対峙してきました。ろう運動が対象としてきた優性思想、劣等処遇意識、手話言語の否定の下で手話通訳士は活躍しているのです。

手話通訳要求は、未熟な社会を背景に誕生し、発展していることが窺い知れます。

手話通訳士倫理綱領は、手話通訳士のあり方、生き方の羅針盤として、そして「今」の到達点を理解するうえで重要なので次に紹介します。

少し長くなりましたが、最後に、私は、手話通訳をするようになって50年を過ぎ、誰もが自ら望む言語で自由に暮らせる社会をイメージすることが少しはできるようになってきました。

目指す社会を実現するためにまずは、通訳を必要とする人双方の人権の一つとして「通訳」を、位置づけることが必要だと考えています。

人権として位置づけるために必要な具体的な手立てとして、「通訳」の法定化と自ら望む言語で語り合うことを阻害された場合、提訴することを可能にする仕組みが必要になるのではないかと思っています。

全日本ろうあ連盟は、「手話言語法(案)」と「障害者情報アクセシビリティ・コミュニケーション保障法(案)」の提案をしています。

すべての人が、自ら望む言語で自由に暮らせる社会をつくる活動も通訳を担うわれわれの大切な役割だと考えています。

今回の受賞は、そんな役割を「通訳」関係者と共有するきっかけとなったと同時に、新たなステップを迎えていることに気づかせてくれました。

新たな目標をJACIの皆さんと共有できればこれほどうれしいことはありません。 貴協会のますますの発展を祈念し、受賞者のコメントとさせていただきます。