【第2回】ことばと私「始まりはストラスブールから」

 初めて外国に行ったのは、大学4年生のときだった。55日の日程で、大学の友人と二人でフランスのストラスブール大学で開講されるフランス語夏期講習に参加し、ヨーロッパを回った。ストラスブールは、フランスとドイツの文化が融合した東部アルザス地方にあって、EU議会があり、ヨーロッパを象徴するカッコイイ都市に思えた。この地方を舞台に、フランス語の大切さを描いたアルフォンス・ドーデ(1840-1897)の『最後の授業』も心に残っていた。日本人が少なそうなのも好ましく思えた。

 夏期講習会が始まると、私はクラス分けテストで一番上のクラスに入れられてしまった。東京外大の教育がよかったということなのだろうが、このクラスは、主にヨーロッパ周辺国の、すでにフランス語が堪能な人たちのクラスだった。フランス語をブラッシュアップしつつ、夏のバカンスを楽しもうというのだ。長期休暇が普通のヨーロッパらしい、おしゃれな休暇の過ごし方である。

 そういう流れからか、私が受けたフランス語の授業は、特に予習を前提にするわけでもなく、いきなりモーパッサンの短編を読んで、文学論議をするというものだった。憧れのフランスで、フランス語をちょっと勉強しながら、ヨーロッパ旅行をしようとやってきた私には、酷なプログラムである。これでは、死に物狂いの勉強漬けでもついていけるかどうか。私は授業中、肩身が狭くて、辛かった。数日は耐えたものの、本格的な留学ではないのだからと自分を納得させ、授業を放棄することにした。後から思えば、事務局に話して、対応できそうなクラスに替えてもらうなどできただろうに、そういう知恵は浮かばなかった。はるばる日本からやってきたのに、あっさり挫折したのである。

 友達は、ストラスブールに来る前に寄ったロンドンでパスポートを落とすというトラブルがあり、ストラスブール入りが遅れた。そのためクラス分けテストを受けず、本人が「一番下のクラス」を希望し、そこで毎日楽しそうにしていた。

 私はというと、近隣をふらふらし、ユーロパスを使って、お隣のドイツに日帰りで行ったりしていた。片言のフランス語と片言の英語を試しながら、それでも、そろりそろりと新しい世界に入っていったのである。

 当然のことながら、小さなカルチャーショックが続いた。

 私たちが入った大学の寮で、まず驚いたのは、生活上の注意事項のトップが「洗濯物を窓の外に干さない」だったこと。日本なら門限とか、騒ぐなとかが重要事項になるだろうが、そんなことはどこにも書いていない。さすが美意識の高いフランス。洗濯物で美観を損ねるのは一番のご法度なのだ。

 ドイツのハイデルブルグでスエードのコートを買ったときも、面倒があった。旅行に来て初めての大きな買い物である。ディスプレイに掛かっていた高額の素敵なコートを後目に、自分の財力にあった方を選んだ。ところが、寮に帰って着てみると、どうもしっくりしない。やっぱり高くても、ディスプレイのコートにすべきだった。迷った末、翌日交換に出直す。ところが店主と思われる女性は交換に応じないという。

「値段の高い方に変えてほしいと言ってるんですよ!」

「それはそうだが、あなたがこのコートを着て歩かなかったという証拠はない。」

「えっ。私は今、ストラスブール大学の寮にいる。ここまで来るのに2時間以上かかる。昨日買ってから寮に戻ったら、もう夜で着る暇はない。今朝も寮を早く出てきた。」

 日本ならすぐに交換してくれるだろうに、こんな反撃を受けるとは。私も必死だった。すると、女主人は急に論点を変え、「確かに、購入したコートはあなたには大きい」と、洋装店の店主らしく、似合うか似合わないかを問題視する。そして、英語で「I will give you a last chance to change. No more, though(交換のため、最後の機会を差し上げます。でも、これきりですよ)。」と言った。

 最後の機会だなんて大げさだなと思ったが、ともかく交換できた。高い商品のほうが儲かるだろうに、ヨーロッパではこういう理屈っぽいやりとりが必要なのか。カルチャーショックだった。でも、このとき買った紺のスエードのコートはお気に入りで、以後20年くらい愛用した。

 街を歩いていると、声をかけてくるのは、ほとんどアラブ系の男性だった。話に聞いていたので慌てなかった。ただ、断ると「なぜだ?」と聞いてくる。「理由なんてない。怖いの。いやなの!」と心の中で言いながら、足早にその場を離れた。

 夏の講習が終わって、友達と他の国を旅行し始めたが、何ぶん初めてのことで要領が悪く、安全に移動し、宿泊所を確保して、無事に食べることを最優先する旅となった。節約しているので高級レストランには入れないし、メニューを見ても何がどの程度出てくるのか予想できない。南仏のアルルで、同じように外国から来たバックパックの男性が、安くて美味しいレストランを教えてくれたのは感激だった。

 ドイツでは、行こうと思ったホテルが分からず、道端のおばさんに地図を見せて、唯一知っているドイツ語で「Wo?(どこ)」と聞くと、おばさんは、これは大変だという顔をして、すごーく遠いことを全身で示し、行く先を指さしてくれた。重いスーツケースを引っ張りながら、二人で遠い道のりを歩いた。でも、たどり着いたホテルのドイツ産白ワインとソーセージ(この時ソーセージは肉なのだと知った)が最高に美味しくて、幸せだった。

こういう調子だったので、楽しいばかりとは言いきれない旅だった。教会や名所にも行ったが、記憶が薄い。だが、この旅行の一番の成果は、何よりも、ヨーロッパの文化的壁を感じたことだったように思う。

 私は本好きの子供だったので、フランス文学も翻訳で読んでいた。英語は中学一年生になって初めて学校で習うという、当時の基準からいっても、とても遅いスタートだったが、それでも好きになった。大学進学時には、一通り習った英語ではなく、違う言語を勉強しようとフランス語を専攻することにした。卒業後は就職するつもりだったが、つねにフランス留学も念頭にあった。だが、この夏の旅行によって、仕切り直すことにした。フランスは慌てて留学するようなところじゃない。ことばには慣れるかもしれないが、文化的壁の切り崩しは容易ではないと直感したのである。

 それでも旅行を無事終えられたのだから、第一歩としては上出来だったと思う。この時に買ったリモージュ焼きのカップ&ソーサーにケーキ皿は今も大切に使っている。父へのおみやげに買った皮財布は、父のズボンの後ろポケットに沿って変形し、40年余りも父の相棒を務めてくれた。

 また、ストラスブールに行く前に寄ったロンドンは、壁がないわけではなかったが、フランスとは異なる魅力があり、ここへは短期の旅行ではなく、長期に滞在したいと思った。後に、BBCロンドンで通訳者として働くことになったとき、若い日のロンドンへの想いが蘇ってきた。ずっと思っていると実現するというが、その通りだった。

 思えば、この初めての海外旅行が、私の、真の意味での外国語、外国との関わりの始まりとなった。1979年、22歳の夏だった。

ストラスブールの街並み

袖川裕美

日英同時通学者。関西外国語大学教授。東京外国語大学フランス語学科卒。ブリティッシュ・コロンビア大学(カナダ)修士課程修了。BBCワールドサービス(ロンドン)を経て、放送通訳(NHK・BS、BBC、CNNなど)や会議通訳に従事。著書は『同時通訳はやめられない』(平凡社新書2016年)、『通訳者・翻訳者になる本2018』(イカロス出版)。夢はフランスに1年滞在。ショパンのEtude1を死ぬまでに弾けるようになること。料理上手。