【第1回】ことばと私「2026年は『凶のち吉』」

JACIの設立者である関根マイクさんから、半自伝的な連載を書いてはどうかとお誘いを受けた。自分の半生について語るような年になったのかと戸惑う気持ちもあるが、自身の来し方を振り返るいい機会であり、それが少しでも誰かの参考になるなら、なお嬉しい。 “通訳”、“教育”、“執筆”の3点を念頭に、『ことばと私』について書いてみたいと思う。

4年前の2022年に関西外国語大学で教えることになり、その前に新たな職場での無事を願い、近隣の京都・伏見稲荷大社に初詣した。以後、毎年、関西での初詣は伏見稲荷と決めている。ここは稲荷山という小山に建てられたお稲荷さんの総本宮で、幾重にも重なる印象的な朱色の鳥居をくぐりながら、小山を登っていく。途中に小さな社がいくつもある。どこまで登るかはその時の体力と気分次第だが、息を弾ませながら小道を登っていくと、何やら修行をしているような気になる。参拝後は小さな達成感があって、すがすがしい。

今年の初詣も、まず本社に参拝し、旧年のお守りをお焚き上げに出し、新しいお守りを買って、おもむろに御神籤を引いた。2年前に手術をしたときも、その前・後ともに大吉を出してくれたので、以来、俄然頼りにしている。なのに、今年は「凶のち吉」というのを引いてしまった。数日前の東京・浅草寺の初詣でも「凶」の御神籤だった。今年はよくよく気をつけないとダメな年なんだといささか気落ちする。気を取り直して小山を歩き始めるも、足取りが軽いとはいえない。いつもより早く息が上がってしまったので、 今回は眺望の美しい中間部までとして、下山した。その間も、凶についてあれこれ思う。そこで、もう一度、出直し神籤に挑戦することにした。「凶のち吉」というが、「のち」がいつだとは言っていない。エイっと引くと、 おー、なんと「大大吉」。こういうカテゴリーがあるとは知らなかった。凶でガクッとさせ、それでは気の毒だから先には吉があるよと言い、さらにはおまけで大大吉。仕掛けが粋じゃないですか。だから伏見のお稲荷さんは好きなんだ。よーし、いいぞ!とまあ我ながら単純なこと。

御神籤に一喜一憂しているときに、アメリカのトランプ政権によるベネズエラ攻撃・マドゥロ大統領拘束のニュースが入ってきた。あきれることながら、トランプ大統領はグリーンランド領有の野心もむき出しである。2026年も物騒な一年になりそうな、嫌な出だしである。放送通訳者として、今年もまた「このレポートにはショッキングな映像が含まれています*」と言うことが多くなるのか。「凶のち吉」、さらには「大大吉」が、私を励ます神籤であるだけでなく、世の中全体の幸を占う神籤でありますように。

* これはBBCが戦争の惨状などを報道するときに、視聴者への警告として使う表現である。英語はThis report contains distressing images [or scenes]. Some viewers may find the following images distressing. など。この文脈での訳語としては「ショッキングな映像」、「悲惨な映像」、「刺激の強い映像」、「目を覆うような場面」などが用いられるが、ピタッとした適訳があるわけではない。distressing(苦しめる、悩ます、悲惨な)の他に、upsetting(心を乱す)なども使われるが、BBCは、視聴者の心理的影響をおもんばかる単語を使う傾向にあるのに対し、CNNは画像そのものの強烈さを警告するgraphic(刺激が強すぎる、露骨な)を多く用いるように思われる。日本の放送局もこうした流れを受けて、最近はこの種のお断りをするようになった。


袖川裕美

日英同時通学者。関西外国語大学教授。東京外国語大学フランス語学科卒。ブリティッシュ・コロンビア大学(カナダ)修士課程修了。BBCワールドサービス(ロンドン)を経て、放送通訳(NHK・BS、BBC、CNNなど)や会議通訳に従事。著書は『同時通訳はやめられない』(平凡社新書2016年)、『通訳者・翻訳者になる本2018』(イカロス出版)。夢はフランスに1年滞在。ショパンのEtude1を死ぬまでに弾けるようになること。料理上手。