【第1回】安全保障と防衛の日英通訳「防衛3文書―防衛大綱から防衛戦略へ」

昨年末、日本政府は防衛3文書の改定を閣議決定し、国家安全保障戦略において防衛力の抜本的強化を打ち出しました。この改定により、戦後の安全保障政策は大きく転換することとなります。以降、毎日のようにメディアにも取り上げられる日本の防衛政策ですが、通訳の世界でも防衛関連の通訳需要は高まっています。この連載は、日本の安全保障政策や防衛体制のこれまでと今をまとめながら、防衛関連の日英通訳をする上で知るべき用語もあわせて紹介していきます。

新たな防衛3文書

第1回は防衛3文書がテーマです。昨年末に閣議決定された防衛3文書は、『国家安全保障戦略』、『国家防衛戦略』、『防衛力整備計画』、このうち2つは名称も変わりました。これまでの『防衛計画の大綱』が『国家防衛戦略』に、『中期防衛力整備計画(中期防)』が『防衛力整備計画』となり、3文書の枠組み自体が刷新されています。

【防衛3文書】

 1.国家安全保障戦略

 国家安全保障に関する最上位政策文書(10年程度を念頭)

 外交・防衛・経済安保・技術・サイバー・情報等の政策に戦略的指針を与える

 2.国家防衛戦略

 防衛の目標とそれを達成するためのアプローチや手段(10年程度を念頭)

 3.防衛力整備計画

 保有すべき防衛力の水準に基づいた中長期的な整備計画

 自衛隊の体制や5か年の経費の総額・主要装備品の整備数量などを含む

新たな3文書は、安全保障環境の変化を踏まえ、反撃能力の保有や防衛体制の強化によって日本の抑止力を高めるとしています。今後5年間の防衛予算は43兆円、2022年には5.4兆円強であった年間予算を段階的に増やし、5年後の2027年にはGDP比2%にあたる11兆円に倍増する計画です。岸田内閣総理大臣は、年初にG7の5か国を歴訪して新たな防衛戦略を説明し、各国のリーダーから支持を得ました。防衛戦略が明示する「戦後の防衛政策の大きな転換点」、具体的にどう転換したのかをここで振り返りましょう。

政策転換の背景

日本の防衛力の整備、維持及び運用の基本的指針であった『防衛計画の大綱』は、1976年に初めて策定されました。当時は、冷戦下の米ソが関係改善に乗り出し、核軍縮へ歩みだしたデタント(緊張緩和)の時代です。この緊張緩和を背景とし、最初の1976年大綱(51大綱)は「東西間の軍事衝突の可能性は少ない、米ソの均衡と日米安保体制が日本への侵略防止に大きな役割を果たし続ける」との認識に立ち、必要最小限度の防衛力のみを保有するとした「基盤的防衛構想」が採用されました。軍事的脅威に直接対抗するのではなく、日本が力の空白になって周辺地域の不安定要因にならないよう最小限の防衛力を保有するという考え方です。

その後1987年には米ソ間で中距離核戦力全廃条約(INF全廃条約)が締結されます。今まさに日本周辺で懸念とされている中距離の弾道ミサイルや巡航ミサイルですが、このとき米ソ間ではこれを全廃することを目的とした軍縮条約が結ばれました。そして1989年に東西冷戦が終結、91年にソ連が崩壊しました。

冷戦が終結して30余年、国際情勢は変化し、日本周辺の軍事情勢など安全保障環境は刻々と変化しています。米ロ間でINF全廃条約が結ばれていた間も中国や北朝鮮は中距離ミサイルを開発、日本は地理的にそのミサイルが飛ぶ空域にあります。そして2019年には米ロのINF全廃条約が失効、直後にアメリカは中距離巡航ミサイルの発射実験を行いました。2022年にはロシアがウクライナへの軍事侵攻を開始、世界は再び軍拡へ動いているかの様相を呈しています。

このような中、防衛大綱に代えて策定された防衛戦略は「国際社会は深刻な挑戦を受け、新たな危機に突入している。(中略)相手の能力と新しい戦い方に着目した防衛力の抜本的強化を行う必要がある」とし、安保戦略は日本の安保環境を「戦後最も厳しい」と位置づけ、「最悪の事態をも見据えた備えを盤石にする」としています。

こうして日本の安保政策は、最小限度の防衛力を保有するという考え方から、防衛力強化によって相手の攻撃をとどまらせる抑止力を高め、日本を脅威から守るという考え方に大きく舵を切りました。このような視点に立つと、日本の防衛は喫緊の課題が山積みとされます。たとえば、周辺国が開発や配備を進めている極超音速滑空ミサイルは、これまでの弾道ミサイルと軌道などが異なるため、現在の装備では迎撃が難しいとされています。また自衛隊では部品が常に不足しているため、装備の可動率が5割強となっていて、他の装備に部品を移すカニバリ(共食い・流用)と呼ばれる整備が多く行われています。重要なインフラを止めてパニックを引き起こす可能性のあるサイバー攻撃への対策にも憲法上の制約があります。

防衛戦略の最優先課題として、現有装備品の最大限有効活用や可動率向上、将来の中核となる能力の強化が挙げられています。この将来の中核となる能力の中に、相手のミサイル発射拠点を攻撃する反撃能力が含まれます。以前は敵基地攻撃能力と呼ばれていたもので、違憲ではないけれども政府が保有しないとしてきた能力ですが、「専守防衛の考え方を変更するものではない」とした上で、今回保有を決定したことが大きな転換となりました。

通訳に役立てたい知識

「防衛体制を拡充し、緊急事態に対応できる態勢を整える」と言った場合、どのように英訳しますか?2つの「たいせい」が使われています。漢字を見ればわかりますが、体制は組織編成やしくみのことなので、systemやstructureなど、態勢は活動できる状態のことなのでreadinessやpostureなどと訳します。防衛の世界では頻繁に使われる言葉で、意図的に使い分けられています。耳で聞くだけでは混乱しやすいので、通訳上注意が必要な言葉です。「懸念」「挑戦」「脅威」といった言葉で相手国を表現する際にも明確な使い分けの意図があるので、曖昧に訳すことのないよう意識したい点です。

日本の防衛においては、専守防衛を前提とした日本語が使われている点も背景知識として押さえておく必要があります。たとえば「敵基地攻撃能力」の代わりに「反撃能力」が採用された背景には、先制攻撃ではなく、あくまでも専守防衛の範囲内であり、日本に対する武力攻撃が発生した際の必要最小限度の自衛の措置として反撃を加えることを可能とするという意図が含まれています。戦闘機の艦上運用が計画されている海上自衛隊の艦船を「空母」ではなく「護衛艦」と呼ぶこともひとつの例です。

 【今日の防衛用語】

 国家安全保障戦略 National Security Strategy (NSS)

 国家防衛戦略 National Defense Strategy

 防衛力整備計画 Defense Buildup Program

 専守防衛 exclusively defense-oriented policy

 抑止力 deterrence capability

 反撃能力 counterstrike capability

 弾道ミサイル ballistic missile

 巡航ミサイル cruise missile

 極超音速滑空ミサイル hypersonic glide vehicle(HGV)

出展・参考文献:内閣官房ウェブサイト「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛力整備計画」、防衛省「防衛白書 令和4年版」「National Security Strategy of Japan」「National Defense Strategy」、日本経済新聞、「自衛隊最高幹部が語る令和の国防」新潮新書、「最新軍事用語集」日外アソシエーツ


菱田奈津紀(ひしだ なつき)

会議通訳者。ロサンゼルス留学で通訳技術を習得し、帰国後は外資系企業の社長や取締役などVIP専属通訳を10年間務める。現在はフリーランスとして国際会議や官公庁、ビジネスの通訳に従事。近年は防衛関連の仕事を数多く請け負う。得意分野は防衛、製造、国際協力など。東京在住の2児の母、趣味は娘たちとのバレエ鑑賞。