【第1回】駆け出しのころ「落ちこぼれからドヤ顔へ」

「私はプロになれるのだろうか」「いまやっていることは本当に役に立つのだろうか」―デビュー前に誰もが抱く不安、期待、焦燥。本連載はプロ通訳者の駆け出しのころを本人の素直な言葉で綴ります。

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高校2年生の時にオーストラリアの高校に1年間留学しました。留学期間中、日本語では表現できるけど英語で何と言えばいいのか分からない、そんな場面に何度もぶち当たりました。「英語で何て言えばいいのだろう?」といつも考えながら英語を学んでいました。16歳と若かったことと、まわりの人たちに支えられたこともあり、留学期間が終わる10ヶ月後には英語が話せるようになりました。ところが今度は日本に帰った時に日本語がスラスラ出てきません。言語の文化的側面も無視して先生に対してため口で話してしまう……かなりの逆カルチャーショックを感じました。そのような経験から、英語と日本語をいつも自由に使いこなすことができたらいいな、と漠然と思ったのが通訳者を目指した最初のきっかけです。

大学を卒業してから、クイーンズランド大学大学院の日本語通訳・翻訳修士課程に進学しました。社会人経験がなかったのと、英語力と日本語力が圧倒的に不足していたので、会議通訳はもってのほか。簡単なビジネス通訳でも自分とかけ離れた世界のことのように思えて、スピーチの原文を理解するのに苦しみました。逐次通訳の授業ではスピーチを流し、2~3文で止めて自分の訳をカセットに吹き込んでいました。最初の授業では何も言うことができず、次の授業ではどうにか何か言えたものの、「えー、あー、あのー」ばっかり言っていて何を言っているのか分からない訳出でした。何が何でもフィラーを言わないと決めてから、また寮で同じスピーチを何度も逐次通訳で練習してから、多少できるようになりました。

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(写真:MAJIT 5年生の時)

 

しかし会議通訳者を養成することが目的の修士課程で他のクラスメイトと比べても上手に通訳できない私は、通訳は好きだけど自分の力では食べていくことはできないのだなと思うようになりました。また、教員からも「現場に出て一回でもこの人はだめだとブラックリストに載ってしまうと次から依頼はない」と教えられて、ますます私には無理だと思うようになりました。
今思えば、通訳はなにも会議通訳だけではない、コミュニティ通訳や会議通訳よりもっと簡単な通訳案件もたくさんあるのだから、自分のレベルに合ったものから始めることもできました。また、この当時は失敗イコール通訳生命の終わりと考えていましたが、今は様々な通訳者に会って話を聞く中で、「とりあえず現場に出て経験して失敗して学ぶこともできる」ということを知りました。

大学院を卒業して数年が経ち、やっとフリーランスとしてデビューをしたのが医療通訳でした。専門医と患者の会話を訳しました。待ち時間も含めてわずか1時間でしたが、緊張してぶるぶる震えていたことを覚えています。大学院で習ったように単語帳を作り、逐次のノートを用意して臨みました。とにかく必死で訳しました。

後で知ったのですが、医療通訳はビジネスの場ではないので特にスーツを着用していく必要はありません。もちろん現場にふさわしい清潔感のある服装は求められます。そんなこと知る由もなくデビューから2年くらいはスーツで医療通訳の現場に出入りしていました。ある日、通訳エージェントから午前中にビジネス通訳、午後から医療通訳の案件、つまり1日に2件の通訳を任されました。コーディネーターから「医療通訳にスーツで行くのも何なんですが、よろしくお願いします」と言われて、「医療通訳にはスーツを着て行くものではないんだ!」と初めて気付きました。

前述のように失敗は許されないと思っていたので慎重に案件を選びました。慎重になりすぎてせっかくきた同時通訳デビュー案件も断ってしまいました。大ベテランの通訳者が私のスキルアップのためにペアを組んであげても良いと言ってくださったのにも関わらずのことでした。もちろん失敗しないのであればその方が良いに越したことはありません。しかし、失敗を恐れるあまり、同時通訳デビューのチャンスを逃してしまったことを今でも後悔しています。

(写真:食品展示会ブースでの通訳。著者は左端)

「とにかく来た仕事は全部引き受けなさい」「とりあえずやってみたら?」とのアドバイスを受けながら自分なりに引き受けることができる範囲を少しずつ広げてきました。それでも一つ上のレベルの仕事に初めて挑戦する時は毎回緊張します。また、たくさんの人の前で通訳する場合も緊張します。
どうすれば本番で自信を持って良いパフォーマンスができるのかを模索していく中で、3つの結論に達しました。

1つは自分の期待値を下げることです。完璧を求めすぎてしまうと小さなミスにとらわれてしまい、通訳中でも「あーだめだ、ここできなかった」と負のスパイラルにはまってしまいます。ここまでできたら良しとしよう、という合格点をあらかじめ低く設定します。

2つ目は自分のことを大ベテランの通訳者と思い込み、できる通訳者になりきることです。内心はドキドキしていても現場では「これぐらいなんのそのですけど?」というドヤ顔で通します。自分のことをできる通訳者として設定することで、弱気になりそうな時に背筋を正して乗り切ることができます。

3つ目は常日頃からスキルアップに努めることです。逐次、同通、シャドーイングの練習を毎日することで現時点での自分のレベルを確認し、昨日より少しでもレベルアップできるようにします。そうすれば現場でも「これだけ練習してきたのだから絶対できる」という自信の根拠となります。
どんなにベテラン通訳者になっても日々の学習は終わりなきものだと思います。その学習を楽しみながら継続し、現場ではドヤ顔で乗り切っていきたいと思います。


藤野裕子(ふじの ひろこ) 2015年デビュー
豪クイーンズランド大学大学院(MAJIT)卒業。2008年よりシンガポール在住。在星日系企業勤務を経て2015年よりフリーランス通訳として活動を開始。政府系機関や現地企業訪問時の通訳、IR通訳、医療通訳などを行う。2019年、医療通訳技能検定1級合格。シンガポール英語シングリッシュが得意。

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