【第11回】ビジネスオーナーとして考える その2

Posted Sept 7, 2018

前回からの続きで、一人の通訳者(職人)であると同時に、一人のビジネスオーナー(自分という「会社」の経営者)として考えようという内容です。今のような変化の時代を上手く立ち回るには、フリーランス通訳者であっても、社内通訳者であっても、一人の経営者としての視座を持って行動することが求められているからです。ブランディングや価値把握、交渉については以前に触れましたが、今回は投資についてです。

自己投資を忘れずに

通訳者にとって最高の投資は不動産でも仮想通貨でもなく、自己投資です。適切な自己投資は通訳者の人材価値を確実に上げます。多くの人は仕事が順調に入ってくるようになると、目の前の仕事の準備をするだけで精一杯になり、職人として自分の技を磨く意識が希薄化していきます。しかし長く仕事を続けていきたいのであれば、目的意識を持って将来への自己投資を忘れないようにしましょう。

1. ツールへの投資

第1回で紹介した基本ツールに加えて、スマートフォンやタブレット端末、またはノートPCは現代の通訳者にはとって必須のツールです。まだ電子辞書を持ち歩いている通訳者もいますが、総合的にみるとスマホやタブレットの方が圧倒的に使い勝手が良いです。あとは平山敦子さんの連載「ガジェット天国」がとても参考になります。

特に第19回で紹介されているパナガイドですが、これは中堅以上の通訳者は絶対に持つべきです。送信機1台と受信機2台で約10万円ですが、すぐに元がとれます。キャリアを積んでくると、予定では逐次通訳なのですが、同時通訳で対応してスピードアップすることで通訳者を含めた当事者全員が得をする、という案件を嗅ぎ分ける能力が備わってきます。通訳者が慣れている分野であれば、同時通訳も長めに対応できますね!

ワシントンDCの世界通貨基金(IMF)で通訳したことも。
金融・財政分野でも十分にやっていけると確信した案件です。

とはいっても、私は基本的に直接取引のクライアントでしかこのような対応はしません。クライアントのニーズを満たしてあげたいという気持ちはあるのですが、エージェントを通して受けた案件の場合、私が同通対応をすることで、それ以降の通訳者の対応に影響がでる可能性があるからです。つまりクライアントが、「先日来てた関根さんは同時でやってくれたから、あなたもやってくれるよね?」と言いかねない状況を作ってしまうのです。通訳はメンタルの状態がパフォーマンスに大きな影響を与えるので、通訳者は自分のペースを乱したくない。本連載では何度か言及していますが、この業界はとても狭いので、他の通訳者に配慮することはとても大事です。

あと、通訳を仕事にしていると翻訳の依頼も結構きます。翻訳はやらない、という選択肢もありですが、①翻訳をすると通訳は確実に上達しますし、②収入の多様化にもなりますので、積極的にやるべきだと私は思います。そして翻訳をするのであれば、絶対にオフィスチェアに投資してください。ハーマンミラーのアーロンチェアや、お手頃なエルゴヒューマンあたりがお薦めです。どれだけ長く座っていても疲れない、腰が痛くならないチェアは文字通り最強です。

2. コンディション調整への投資

若い頃は無理ができたけれど、年を追うごとに回復が追い付かなくなってきている……というのはこの業界に限らずよく聞く話です。多くのベテラン通訳者は「通訳は体力が一番大事」と口をそろえて言いますが、確かに体力がなければ集中力が維持できませんし、繁忙期を乗り切ることはできないでしょう。コンディションを整えるために投資は必須ではないかもしれませんが、長い目でみると必ずペイすると私は考えます。

たとえば早朝移動の案件の場合、前日に移動して自腹でホテルに泊まるのも選択肢の一つ(エージェントと交渉して負担してもらえれば最善ですが)。レートが低いうちは経費負担が重すぎて難しいかもしれませんが、特に朝が苦手な通訳者はゆっくり休めますし、なにより電車の運行停止を心配しなくてもよいのが大きい。エージェント関係者に聞いても、通訳者に対するクレームで多いのが遅刻ですし、たとえ遅れた理由が電車の運行停止のような不可抗力であったとしても、クライアント側の関係者が全員揃っていたとしたらそれは理由にはなりません。The best ability is availability とはスポーツの世界でよく使われる格言ですが、通訳者も自分が必要とされるときに現場にいなければ無価値です。ちなみに私は地方では大浴場付きのホテルを優先的に選びます!

名古屋や大阪に出張する際、状況が許せば事前にグリーン車を予約するのも一つの手です。EXグリーン早特を利用すれば、3日前までの予約で、早朝の「のぞみ」と終日の「ひかり」のグリーン車が指定席とあまり変わらない料金で購入できます。EXアプリ(エクスプレス予約サービス公式スマホアプリ)があればスマホでサクサク手続きできるのでお勧めです。なんだかんだで、グリーン車は快適ですし、あまり疲れずに移動できます。

そしてコンディション投資の王様は、やはり休養です。「常に仕事が入っていないと不安になるフリーランスが通訳・翻訳業界には多い」という印象が私にはありますが、仕事ばかりしていたらいつ「何も考えない」時間があるのでしょうか? いつ勉強・研究をするのでしょうか? 心と体のコンディションとバランスに十分に配慮できているのでしょうか?

通訳者は仕事の性質上、常にプレッシャーにさらされる職業です。そして精神的ストレスや身体的ストレスが重なるなど、様々な理由から脳の機能障害が起きると、うつ病などの心の病になってしまうことも十分に考えられます。近年では将棋棋士の先崎学九段や、五輪メダリストのマイケル・フェルプスNBAのスター選手などがうつ病である・あったことを告白しています。常にギリギリのところで勝負している人間は、心のバランスを崩しやすいのではないでしょうか。自覚がないだけで、実は心のバランスが崩れている、または崩れかけている通訳者は相当数いるのではないかと私は考えています。

きちんと食事をとり、きちんと休み(私がパートナーにあまりメモ出しをしないのもこれが理由です)、きちんと寝る。午後11時に資料を送ってくるエージェントの頑張りは認めますが、そんな時間から読み始めて睡眠不足になるくらいなら、きちんと寝てコンディションを整えて現場入りした方が良いと私は思います。毎日ぐっすり眠ること。これは大きな自己投資なのです。

3. 知識への投資

通訳、特にフリーランスで通訳をする人間は広く浅く知識を蓄えておくと、駆け出しの時期には点だったものが中堅以降は点がつながって線・面になってきます。ある経済関係の会議で得た知識が、別のスポーツアナリティクスの会議で役に立つようなことも。それゆえ常に新しい知識に貪欲であることはとても大事です。

Work hard, play hardを忘れずに。本業のかたわら、
全日本ポーカー選手権にエントリー。予選通過しました!

では新しい知識はどのように得るのか。やはり基本は読書ですが(出版不況が昨今話題ですが、それでもお手頃な値段で手軽に高度な専門知識が得られるのは日本くらいです)、最近はポッドキャストやオーディオブックの存在感が増してきています。特に今はポッドキャスト全盛期と言っても過言ではないのでしょうか。オーディオブックは紙と比べて価格が高めですが、スマホで持ち運べてハンズフリーで聴けるので、混雑が多い東京ではとても便利。私は現場に向かう途中に耳のウォームアップを兼ねて聴いています。

10年前と比べて、通訳・翻訳関係の講演会やワークショップは劇的に増えました。これを利用しない手はありません。私が所属する日本会議通訳者協会では毎年、日本最大の通訳イベントである日本通訳フォーラムを開催しているほか、年に数回ワークショップも開催しています。サイマル・アカデミーさんやインタースクールさんのような大手エージェント系のスクールも近年は積極的です。そして通訳・翻訳を学術的視点でとらえる日本通訳翻訳学会(JAITS)の活動も注目すべきです。JAITS主催のイベントはもちろんですが、知の領域を拡張しようとする研究者の論文から実務におけるヒントを得たことは何度もあります。貴重な知識を得るために使う時間とお金は惜しむべきではありません。

ちなみに一部の大学が通訳分野でCPD(Continued Professional Development)プログラムの立ち上げに取り組んでいるようですが、数年後には民間主導ではない、大学主導の体系的な学習・スキル維持プログラムが生まれているかもしれません。自己投資の選択肢が広がるのは嬉しいですね!

関根マイク

Mike Sekine

通訳者。関根アンドアソシエーツ 代表、日本会議通訳者協会理事、名古屋外国語大学大学院兼任講師、元日本翻訳者協会副理事長。得意分野は政治経済、法律、ビジネスとスポーツ全般。

現在は主に会議通訳者として活動しているが、YouTubeを観てサボりながらのんびり翻訳をするのも結構好き。近年は若手育成のため精力的に執筆活動も行っている。「イングリッシュ・ジャーナル」で『ブースの中の懲りない面々~通訳の現場から』を連載中。