【第23回】日英同時通訳で気を付けること

トム・エスキルセンさん

update:2017/06/01

表題のテーマで執筆を依頼された時、日本で宣教師をしていた父がよく言っていたことを思い出しました。たまに日本人牧師と欧米人宣教師が会議をする時、牧師が英日、宣教師が日英の通訳をすることが多かったそうですが、話がちぐはぐになったり、逆の意味で訳されたりする場面を父は何度も見てきたそうです。通訳の基本は、話し手の意図を理解し、忠実に伝えることなので、アウトプットが多少稚拙でも、母国語から第二言語に訳すのを基本とすべきだというのが父の持論でした。何度も力説していたほどですから、よほどのすれ違いが起こっていたことと想像します。

国連の同時通訳では、中国語とアラビア語を除き、母国語への訳出が基本のようですし、翻訳業も同様です。私も日英ウィスパリング業務を依頼されることが多く、ネイティブの発音が好まれることがあるようです。しかし、本当はどちらが正論なのでしょうか。

「源氏物語」に初めてチャレンジした時、流れるような情景や音の響きに感激しつつ、何度読み返してもストーリーを理解できず、投げ出してしまったことを思い出します。日本語は、文脈で分かることを省略する傾向が著しく、控え目に遠まわしに表現することが美徳とされています。主語、目的語、述語さえ無くても通じ合える「ツー・カー」の世界です。仲間内では、心地よく、気持ちを通い合わせるのに最適な表現方法かもしれませんが、よそ者にとっては、超え難い壁となることも少なくありません。初めて現場に入る通訳者にとってはなおさらです。

通訳者は、煙たなびく戦場を走る二等兵のよう

営業などの社内会議では、いつも、この厚い壁が立ちはだかっています。取引先や製品の名前のほか、その会社でしか通用しない隠語や略語がばんばん飛び交い、マイクがあっても誰も使わず、生音を拾わなければなりません。

通訳者は、煙たなびく戦場を走る二等兵のようです。何とか話の糸をつかみ、巻き取って、筋を捉えなければなりません。激論を交わしている社員たちが何に情熱を傾け、何にこだわっているのかイメージする想像力、点を線にする推測力が問われます。読みが当たっていれば「無事生還」でき、わけがわからないままであれば「cannon fodder」(大砲の餌食)と化します。お客様のご担当者からできる限り事前に会議の趣旨や論点、キーワードを聞き出すことが命綱となります。定例的な会議なら通訳者の間の引き継ぎも重要です。

また、通信やソフトウェア開発プロジェクトの定例会議のウィスパリングも辛い業務になりがちです。締め切りを目前にして睡眠不足のご担当者は専門用語や技術に関する質問に答えてくださる余裕がなく、「そのままカタカナで訳してください」とおっしゃることがよくあります。業界標準の言葉は事前に勉強できますが、そのプロジェクトでしか使われない頭字語(acronym)も飛び交います。ご本人たちには、耳にタコができるぐらい聴き慣れた用語も通訳者には初耳の単語、フレーズです。また、技術者特有の以心伝心の世界があり、よく主語・述語が省かれます。点と点が線になり始めるまで、頭字語に「てにをは」を付けて機関銃のように出力するしかありません。卓球の選手や曲芸師のような瞬発力が求められます。この手の仕事は元気な若手が爽やかにこなすようですが、小生は老体にムチを打つしかありません。

ゲートが開くのを待つ競走馬の心境

これらのケースと比べれば、大きな会議のブースでの同時通訳は条件が整っています。日英対訳で資料が用意されることもあり、それを事前に精読することができ、打ち合わせで話の流れやキーワードを把握することができるので、ヘッドホンに流れる音に集中することができます。それだけに高いクオリティーが求められ、失敗が許されません。英語を聞いている人は数名しかいないかもしれませんがCEOなど重役だったりしますので、英日とは違った意味で責任重大です。

同時通訳をはじめて二十数年経ちますが、今でもブースに入るときは、天皇賞レースでゲートが開くのを待つ競走馬のような心境です。しかし、目先のモノを追っかけるだけではダメで、話の筋を分かりやすく伝え、時には枝葉を落として短くまとめる心のゆとりが必要です。会場をキャベツ畑に見立てたり、呼吸に精神を集中したりすることも役に立ちますが、取りこぼしてもすぐ立ち上がる七転び八起きの精神と「人事を尽くして天命に聴(まか)す」一種の開き直りが大事かと思います。

コミュニケーションの要であり、欠かせない存在

中浜万次郎像

聖書を翻訳したヒエロニムスやルター、仏典を漢訳した鳩摩羅什や玄奘三蔵のように後世に絶大な影響を及ぼす翻訳者と比べると、通訳者は、黒子のような使い走りの存在かもしれません。成果物は残らず、ちゃんとできて当たり前で、大事な局面で間違えると噂の種にされます。

しかし、国家間交渉やビジネスの重大局面で通訳者はコミュニケーションの要となり、欠かせない存在です。また、毎日新しいことを勉強して豆知識を身に付ける楽しさがあります。専門家にはなれないかもしれませんが、物知りになれます。

日米和親条約の締結に尽力した中浜万次郎氏や極東国際軍事裁判でパール判事の通訳を務めたA.M.ナイル氏など、通訳者として活躍した昔の人々の生き様を見ると、実に波乱万丈・自由闊達で魅力的です。一瞬にかける「通訳者人生」には、川の流れのような美学、一期一会の哲学があります。

通訳業もAI技術によって将来、淘汰されてしまう職種の一つかもしれません。しかし、課題先進国の日本で、そして気候変動・資源枯渇・人口爆発・戦争・難民問題・飢餓に揺れる世界において通訳者が果たす役割はますます重要になるのではないかと思います。多くの方にチャレンジしていただきたいと思います。

トム・エスキルセンさん

Profile/

日本でキリスト教宣教師の家庭に生まれ育つ。日本の大学を卒業し、2年ほど英会話学校講師を務めた後、インド思想や南北問題への関心からインド・バングラデシュに長期滞在しシャプラニール=市民による海外協力の会に関わる。その後、米国で翻訳・通訳業に3年間従事。1992年に日本に戻り、マレーシアの熱帯林と先住民族の問題に取り組むサラワク・キャンペーン委員会に専従スタッフとして勤め、94年から現在まで運営委員。

1994年からIT分野を中心にフリーの通訳者に転向して今日に至る。1993年に「チッタゴン丘陵問題対策会議」の設立に関わり、1999年から「ジュマ協力基金」共同代表としてバングラデシュに駐在員を派遣。ジュマ・ネットに2003年から運営委員として関わり、2006年から副代表となる。