【第15回】北欧ノルウェーに住んで

木村博子さん

皆さん、はじめまして。北欧ノルウェーのオスロ市に住んでいる木村博子です。日本国内や英語圏内にお住まいの方々は、通訳や翻訳といえば、主に日英、英日だと思われているかもしれませんが、英語圏外に住み、多様な言語社会に生きている私達の状況はかなり違っています。

ノルウェーでの私の最初の通訳体験は、まだオスロに来て間もない頃でした。

ある会議での通訳を依頼されていた通訳者の方が、直前になって都合が悪くなったということで、当時オスロにあったJETRO Officeの方から私宛てに声がかかりました。ご相談を受けて「やってみましょうか」などと気軽に引き受けてしまったのですが、すぐあとに両国の経営者連盟間の交流のための会議という重要な会議だと知ってびっくりしたことを覚えています。

幸い、楽しい体験になり、その後もいろいろなお手伝いをさせていただくようになりました。乳母車持参で大学での講義をしたり、子どもを背中におんぶして講演を聞きに行ったり、ビジネスの打ち合わせに幼児を連れて絵本を読ませながら仕事をこなせたのは、やはり女性にやさしいノルウェーだからこそできたのだろうと思います。

ノルウェーの言語状況

国のことばは「ノルウェー語」なのですが、実はその名の下に最低3つの公式の言語があります。第一に、オスロや首都圏を中心として私達が話しているbokmaal(ブークモール)という言葉がありますが、これを「標準語」とはよびません。次に、西海岸地方の郷土愛・民族意識のシンボルであったnynorsk(ニューノーシュク)、さらに、samisk(サーミスク)と呼ばれる先住民族の人たちの言語も国語の一つです。

これに加えて、スカンジナビア諸国には、連合王国の歴史、北欧圏内の協力体制や交流があり、隣国意識や言語・文化の共有感もあります。それ故、外国語であるデンマーク語やスウェーデン語も「お隣りの言葉」あるいは「わかりにくい方言」のような感覚で受け入れられています。従って、通訳でも翻訳でも、社会で使用されているこのような多数の国語や隣国の言語は、相互に理解可能で、共存しています。残念ながら、日本のアイヌ語に相当するサーメ民族の言葉は、私は不勉強でまだ理解できません。

ノルウェー王国の首都 オスロ市

国営放送NRKでは、同権・非差別という観点から、このような複数の国語を相対的なバランスをとって使用することが義務付けられています。先住民族サーメの人たちの言語は、特に北極圏内の地方で学校教育の幼稚園・児童教育カリキュラムに統合されていて、独自のサーメ議会も大学もあります。国営放送にはサーメの子ども番組もラジオニュースもあります。この国のジャーナリストたちは外国語、ロシア語やスペイン語なども流暢で、その言語能力と文化への洞察力により、信頼性のある高品質の記事や報道を提供してくれています。

また、児童番組等の例外を除いて、外国語でもなるべく吹替えをしないで、オリジナル言語のままで流し、それに字幕翻訳をつけたり、聴覚障がいや弱視の対応などもしています。それにより、世界の中ではノルウェー語以外の言葉が使われているのだということを社会全体が実感し、次世代となる子ども達もそれを体験しながら「外向きに」成長していきます。かつて私がNRKで字幕翻訳のお手伝いをしていた頃の上司は、各国の言語だけではなくて、手話やテキストテレビなど、いろいろな障がいのある人も情報にアクセスができるようなツールを増やしていくためのコミュニケーション手段を重視されていて、日本でもその講演をされました。

「みんなのための町 (Byen for alle)」というモットーには、その根底にユニバーサル・デザインの背景にあるコンセプトや理念が存在するようです。これは、運動機能低下や障がいのある人や車いす利用者のためのエレベーターや設計・建築だけに限らず、情報・空間・活動・教育・就職・能力開発等の機会に「平等にアクセスできる権利という人権」を確認し、みんなが人間らしく生きて幸せな空間を創造するための、インフラ構築や都市設計まで含めた観点なのです。社会にはそれを提供すべき義務があり、誰でも差別なくアクセスできるような社会を構築することにつながる人権保護の一環なのだと、私は理解するようになりました。

また、アクセスできる機会を提供する義務を法律で明文化することにより、平等で多様な言語社会の構築が社会の義務となり、それをしないことが違法行為とみなされるようになるので、通訳経費も含めて、その合法化対策のための予算がとりやすくなります。その過程で言語のバリアとそれに伴うリスクを少なくし、コミュニケーションを成立させるのが、私達通訳者・翻訳者・言語プロフェッショナルの役割でも、大きな責任でもあるのです。

歴史と言語

ハンザ同盟がノルウェーに到来したのは14世紀半ばですが、交易と黒死病だけでなくゲルマン系の言語と商業文化ももたらしました。小国ノルウェーは14世紀半ばから20世紀初めまでデンマークと隣国スウェーデンとの連合王国だったので、権力者側の有力な言葉であったデンマーク語もスウェーデン語もノルウェー人には理解できます。現在では北欧圏内の姉妹言語のように、一種の方言のような感覚で扱っています。海運国であることから船員や士官として世界の海をまわり、捕鯨船の一員としても人々の視線は外に向いていました。第二次世界大戦中の5年間はナチスドイツに占領されていたので、国内の公用言語は占領者のドイツ語でした。抵抗軍の人たちは、イギリスやアメリカやカナダにおいて英語で軍事訓練をうけて占領下のノルウェーに戻り、危険な抵抗運動の地下活動に参加したのです。

最近は失業の多い欧州各国から、給料も労働条件も良く福祉レベルも高度なノルウェーに就職先を求めて、多数の人々がやって来ています。レストランでウエイターやウエイトレスをしている若者の大多数は、若年層の失業率が高いスウェーデンやEUから来た人達です。就労・経済移民では北欧諸国や東欧が今まで多かったそうですが、今年は欧州の失業率や難民状況を反映してか、スペイン語系やギリシャ、アラブ・アフリカからの移民が増加しているそうです。それでオスロでは市電に乗ると多数の言語が聞こえてきます。

言語の多様性を当然なこととして受け入れられるような基盤が社会全体に構築されているということは、教育面にもみられます。小学校低学年から英語を話させ、意思疎通と表現とコミュニケーションのためのツールとして、次々と言語を教えます。子ども達は休暇には家族で外国に行き、また、各種のメディアを通じて、英語や他の言語を聞き慣れています。アルファベットを特に学ぶ必要がないので、小学校低学年で最初に習う英語では、2~3週間後にはもう自己紹介などのスピーチに入ります。

英語の次は、第二外国語、第三外国語と自分で言語を選べます。かつては、ドイツ語、フランス語が主流だったのですが、最近は長い4週間の夏休みや冬や秋の休暇に家族連れでいく旅行先のスペイン語や、中国語・日本語・移民の言語なども選べる体制が整ってきています。合気道・柔道・アニメ・漫画などから日本に興味を持って日本語を選ぶ若者が増え、日本に短期留学しやすい環境も整い日本ファンが急増しています。おりしもオスロの国立博物館では2館において Japanomania i Norden「北欧における日本マニア」展を好評開催中です。

通訳の悩み

仕事の予約時には業務内容も時間も分野も不明確なことが多く、使用言語がどれになるのか、言語数がいくつになるのかもわからないという状況がよくあります。言語が未確定、あるいは現地で急遽変更という状況が発生することも多く、また、専門用語の辞書もリストもないこと、病院・学校以外の仕事では付加価値税(+25%のMVA/VAT)を国に支払うこと、会計も簿記も日本とは法律が違うこと、デジタル化がごく進んでいて「ネットバンク」や「携帯での支払い」などで支払や商取引が瞬時に行われること、物価や料金がすべて高くて日本国内やアジアとは違うこと、などを予約される方々がお気づきでない場合がほとんどなのです。

日本の仲介会社では通訳料の支払いが2-3カ月後だそうで、旅費・経費のすべてを立て替えるよう要求されて、その立て替え金額の払い戻しにもしばらくかかるそうです。ノルウェーではデジタル化が進み、「ネットバンク」が中心で、通常請求書の日付から14日以内に支払いを要求されます。旅費立て替え時の支払いはホテル代、バスやタクシー等の交通費でも、カードあるいは携帯電話から予約あるいは利用時にその場で瞬時に引き出されてしまいます。

日本的な発想で予約されると、訪問先や相手国の状況把握や理解が大切なことをあまり意識されないことが多いのです。当日になって、通訳言語や分野が急にその現場で変わったり、臨機応変で対応しなければならない場合がよくあります。最も極端な一例としてお話するのは、ある仲介会社は、予約の時点でノルウェー語と日本語間の福祉部門の通訳で、オスロ市内で半日、と言われたのですが、どうも高齢者センター訪問のような通訳ではなさそうなので、訪問先の住所を尋ねました。そこに連絡してみると、ごく少人数の5名様の英語の国際会議で、福祉・介護部門でのロボット工学利用のためのR&Dの準備会議だったことが前日にわかったということもありました。

外国在住の通訳を日本から予約される際には、日本での日英通訳料金や法律や慣習等の枠内で、つまり日本国内の基準で予約されるようで、外国では環境や法律や状況が違うのだということをあまり意識されていないように感じられます。言語の選択で「私どもは英語ならわかりますので、相手にも英語で話してもらって、通訳も英日で依頼します。」とお客様がよく言われます。しかしこの場合には、訪問受け入れ側としては、その部門の専門家で、かつ英語のプレゼンテーションができる方を選ばねばならないのです。

そして工場や現場の視察があれば、そこでは工場の案内担当の方が母国語であるノルウェー語で話すことがよくあります。さらに、部下が北欧人であれば、そのままデンマーク語やスウェーデン語のままで会議が進行します。またその反対に、英語を公式言語とするグローバルな大企業や組織も多く、トップレベルに有能な外国人を採用しますので、ノルウェー語を話されないこともあります。

従って、言語がどれでいくつになるかは、玉手箱をあけるような一面もあるのです。通訳予約時において、お客様は日本語に和訳されればよいので、あまり頓着されません。そのような状況に備えて最低3言語で用語の準備をしておかねばならない分野も多く、経験とカンとで、事前にホームページを見ておいたり、可能な時には訪問先の受入担当者に連絡をとることを許可してもらったりして準備します。けれども一番役に立つのは国内外の動向をニュースやデジタルメディアで把握し、各種分野のセミナーに参加したり、傍聴席に座ったりして、社会の動きと用語とを常時アップデートしておくことだと思います。

ノルウェー語と日本語と英語の用語リストを作りながら通訳や翻訳等の業務を30余年かけて展開してきたのですが、かなり大変でした。自分が今まで作成してきた用語リストや資料をまとめて編集し、共有する時期が来たように思いますので、プロジェクトとして奨学金を申請してみようかと考えています。

木村博子さん

Profile/

英語圏での留学(宗教史、哲学専攻)の後、ノルウェーに37年以上在住。現在は、現地邦人のフリーランス・個人企業として、日・英・ノルウェー語を主要言語とするlanguage professionalを務める。国家公認翻訳者(ノルウェー語→日)、オスロ市公認ガイド。

通訳業の中には、会議通訳、VIP同行通訳、各種視察・取材のコーディネーターを兼ねたものも含む。そのほか、イベント司会や日・英・ノルウェー語での記事執筆、講演も行う。2015年にオスロで公共部門の通訳学、2016年はロンドン・メトロポリタン大学での通訳セミナーの受講等、継続して研鑽を積んでいる。