【第6回】探査工学から見た地球と宇宙「天然水素 ― 夢の資源になるか 」
日本は「水素社会」を目指している。二酸化炭素(CO₂)を排出しない「クリーンな燃料」として注目される水素は、2050年のカーボンニュートラル実現に向けた重要な柱の一つとされている。しかし、以前のコラムでも述べた通り、現在流通している水素のほぼ全ては石油や天然ガスなどの炭化水素から生成される「グレー水素」である。水素の生成過程で大量のCO₂が排出され、その多くが大気中に放出されているのが現状であり、残念ながらほとんどCO₂排出削減には貢献できていない。
近年では、水素生成時に発生するCO₂を地下に貯留するCCS(Carbon Capture and Storage)技術を組み合わせた「ブルー水素」という、より環境負荷の少ない方法も試みられている。この方法を利用すれば、大気中にCO₂を放出せずに水素を生成することが可能となるが、コスト面から急速に普及しているとは言い難いのが現状である。
こうした中、近年注目されているのが「天然水素」である。これは炭化水素や余剰電力から人工的に水素を生成するのではなく、地中から自然に湧出する水素をそのまま利用するというものである。数年前まで私は大学の授業などで、水素はエネルギーを貯蔵するための「バッテリー」のような役割を果たす物質だと伝えてきた。つまり、水素自体は天然資源ではなく、あくまで電気エネルギーを変換して保存する手段と考えられてきた。
天然水素の存在自体は以前から知られていたものの、低濃度(ppbレベル)であるため、資源化は難しいと考えられていた。しかし、諸外国で天然水素の商業化が進みつつある状況を目の当たりにし、私たちも資源としての天然水素について真剣に考えるようになった。
水素は非常に軽い物質で、そのままにしておくと宇宙空間へ逃げてしまうが、それをエネルギーとして活用できれば、地球に優しい資源になる。もし、地球内部に自然に存在する水素を採取できれば、エネルギーのパラダイムを変える可能性を秘めているかもしれない。
世界中で見つかる天然水素
現在、世界各地で天然水素の湧出が報告されている。アフリカのマリ共和国では、地表から自然に水素を回収できる井戸があり、すでに実用化が始まっている。アメリカ、ロシア、フランス、スペイン、ブラジル、オーストラリア、トルコなどでも地中から水素が噴出している地点が確認され、商業的採取の可能性が調査されている。さらに、これら以外の国々でも天然水素の報告が相次いでおり、世界各地に広がる天然水素フィールドの特徴も徐々に整理されつつある。
オーストラリアでは、水素が非常に安価に採取できる可能性が示唆されており、驚くべきことに1kgあたり約1ドルで回収できる可能性があると言われている。従来の水素製造コストはその2倍〜10倍程度であり、この天然水素は非常に安いと言える。水素の輸送や高純度化などにはコストがかかるなど課題はあるものの、非常に低コストである点は特筆すべきである。
このような状況を受け、米国ではすでに天然水素に特化したスタートアップ企業が100社近く設立されているようである。日本では天然資源は自分たちの手の届かない場所にあると感じる人が多いかもしれないが、米国ではシェールガスなどの天然資源が身近で、資源開発に敏感な国ならではの動きとも言える。
ただし課題もある。どこに水素が溜まっているのか、どの程度の資源量があるのか、長期的に安定供給が可能か、そしてどのように効率よく回収するのか。これらはまだ明らかではない。日本のような断層が発達している場所では、天然水素は、メタンなどの天然ガスのように地中に大量に溜まっているわけではないと私は考えている。しかし水素の生成スピードははやく、生成されては、それが地表(最終的には宇宙空間)へと抜けていっているように考えている。したがって、逃げていく水素をどのように地中で捕まえるかが重要であり、そのためには移動経路を正確に把握する必要がある。こうした理由から、私たちの研究グループでは、天然水素の湧出地点で水素の移動経路を探査している。
日本にもある天然水素
日本でも天然水素の湧出が確認されている。例えば長野県白馬村では天然水素が報告され、「おびなた温泉」では水素濃度の高い温泉が楽しめる。ここでは、地下のカンラン岩が水と反応して蛇紋岩に変化する際に水素が発生する「蛇紋岩化反応」が原因と考えられている。蛇紋岩化反応は水素生成速度が速く、日本各地の地下でも同様の反応が起きている可能性がある。特に北海道ではカンラン岩の分布が多く、地下深部で水との化学反応によって持続的に水素が発生している可能性がある。また、陸上だけでなく南海トラフや小笠原諸島周辺の海域でも天然水素が確認されている。
地産地消エネルギーでも良い?それとも主要エネルギーに?
仮に日本で大量の天然水素が採取できるとすれば、これは日本がクリーンな資源開発国への扉を開く可能性を秘めている。ただし先に述べたように、どの程度の量(資源ポテンシャル)が存在し、それを回収できるのかについてはまだ明らかになっていない。
地産地消型の利用であれば、少量の天然水素を安価に取り出し、地域で電気や熱に変換して活用することが考えられる。例えば、山間部や過疎地域で湧出する天然水素をその場でエネルギー化し、地域の自給自足を支えるという発想である。一方で、化石燃料に匹敵する主要エネルギー源とするには、大規模な開発が必要となり、天然水素だけでそれを賄うのは難しいかもしれない。
主要エネルギー化を目指す場合、地下に人工的に亀裂を発生させ、そこに熱水を圧入することで蛇紋岩反応を促進し、水素生成を加速させるというアイデアが考えられている。すなわち、カンラン岩が広く分布する地域で、人工的に地中で水素生成を増進する技術の導入である。さらに反応に用いる熱水にCO2を混入させ、CO2の地中鉱物化固定と水素発生を同時に達成する案も検討されている。ただし、このような亀裂の生成は地震誘発のリスクを伴うため、地震リスク評価と回避技術の確立が不可欠である。 以上の課題はあるものの、天然水素は環境負荷の少ないクリーンな資源であり、日本のように化石燃料資源が乏しい国にとって、エネルギー安全保障を強化するツールとなり得る可能性がある。今後も、科学的な視点で天然水素を評価し、そのポテンシャルを探っていきたい。
東京大学大学院工学系研究科・教授。地球惑星科学・探査工学。
研究室HP