【第33回】現役通訳者のリレー・コラム「フリーランス通訳者のワークライフバランス」

さてさて、この度はJACIのありがたいオファーにて、「フリーランス通訳者のワークライフバランス」とのテーマで徒然なるままに寄稿いたします。

そもそも「ワークライフバランス」とは

のっけから、いただいたお題でちゃぶ台をひっくり返すような形になってしまい大変恐縮なのですが、私は「ワークライフバランス」という言葉はあまり好きではありません。

「ワーク」の対義語って「ライフ」なんでしょうか?

「ワーク」って「ライフ」の一部じゃないんでしょうか?

お仕事の神様には本当に感謝しておりますが、お陰様で英語通訳という天職に恵まれたワタクシにとって、お仕事は人生の大切な一部でございます。

大変分かりづらい例えをいたしますと、「ワークライフバランス」という言葉はワタシには「お米と炭水化物のバランス」と同じに聞こえてしまいます。そりゃあ、お米だって、その他炭水化物(特に麺類)だってがっつり摂取したいですし、それでバランス取れるのであれば世話はありません(笑)。

AとBのバランスという場合、ある程度AとBはMECE (Mutually Exclusive / Comprehensively Exhaustive) の関係になくてはならないのではと思いますが、ワークとライフの関係は全然MECEじゃありませんね。CEではあるかもしれませんが、MEどころか、Completely Inclusive な関係なわけでして。

はい、屁理屈を申しました。申し訳ありません。当然「ワークライフバランス」と言う場合の「ライフ」は当然「プライベートライフ」を指すものと理解すべきですよね。あるいは「仕事」と「それ以外の人生」のバランス。それだけ仕事が人生のおいて重要な(あるいは少なくとも最も多くの時間を費やす)時間だと認識されていることの裏返しとも言えるのかもしれませんね。

もう一つ、「仕事」が「それ以外の人生」と対立するという考え方、「ワークライフバランス」という考え方の根底にあるきちんとバランスをとらないと「仕事」の時間が幸せであるべきその他人生の時間を侵食してしまいかねないという問題意識もあるのでしょう。フリーランスになって、会社員時代と比べてそういった危機感は大分和らいだものの、やはり気を付けないとワークがライフの領域にどんどん侵出してきます。

バーコード状のコントロール

さてさて、英語通訳者に限らず、フリーランスで働く場合、ワークライフバランスの有り様が、例えば会社勤めの方々とは二つの点で大きく違ってくるのではないかと思います。

一つ目は、ごく当たり前の話ですが、バランスを自分でコントロールし易くなること。

これは当然、キャリアを積んである程度の実力がついていて、かつマーケットも極端に不景気ではない、という前提が付いて回りますが、ある程度仕事に恵まれているフリーランス通訳者であれば、入ってきたお仕事を断るという形でワークライフバランスをコントロールし易くなります。複数のエージェントとお付き合いしている以上、「別件バウアー」(オヤジギャグです。何のことかわからないかたは調べてみましょう)はお仕事を断る際のオールマイティな切り札です(笑)。会社員ですと仕事の依頼(多くの場合業務命令)を断り切れないことも多いのではないでしょうか?

実力が伴わなかったり、業界の需要が極端に冷え込めば(例えば東日本大震災後などがそうでした)そりゃまあ、「ライフ」のほうがとーっても充実してしまうということにもなりますが(苦笑)。

コントロールし易くはなりますが、先程申し上げた通り、それでもオーバーワークになってしまうリスクはあります。フリーランスは競争の世界でもありますし、特に駆け出しの頃はエージェントやクライアントとの力関係もあり、「このお仕事断ったら、次からお仕事こなくなっちゃうんじゃないか」「このお仕事、他の優秀な通訳者に持ってかれちゃったらどうしよう」という恐怖心に駆られてお仕事が断れないようなケースは多かれ少なかれあるかとは思います。また、需要の季節変動もかなりあり、繁忙期には「稼げる時に稼がなきゃ」という意識でオーバーワークになりがちです。

自分に必要な収入を稼ぎつつワークライフバランスを実現する(≒「ライフ」を最大限確保する)というのは日雇い労働者であるフリーランス通訳者、つまり受けた仕事の本数×単価で収入が決まる身にしてみれば、二律背反する話でして悩ましいところではあります。特にワタシはフリーランスのお仕事で自分+扶養家族3名の食い扶持を稼いでおりますので、バランスの取り方が難しいところです(苦笑)。

もう少しポジティブな見方をするのであれば、フリーランスって、仕事を受ければ受けるほど収入が上がっていくという極めてシンプルかつ強力なインセンティブが働きます。会社員時代はここだけの話(笑)、上司や別部署から仕事の依頼が回ってくると、億劫に思うことも多かったように記憶しておりますが、今はエージェント様、クライアント様からのお仕事の問合せを切実に待ち望んでいる自分がおります(笑)。

「お、この仕事が確定すると今月の収入は○×円を超えるな(にやり)」などと密かにほくそ笑んだ経験のあるフリーランスの方もいらっしゃるのではないでしょうか?

このような魅力的なインセンティブに身を任せてブレーキを踏まないでいるとやはりオーバーワークになってしまいますね。

ワークとライフのバランス、という観点からは少しそれますが、フリーランス通訳者の実力には適切な体調・健康管理も含まれます。オーバーワークで集中力が低下してしまえば(特に寝不足は厳禁です)、通訳のパフォーマンスにも悪影響が出ます。ワタシは駆け出しのころそれで何度か失敗したことがあります。寝不足で同通のパフォーマンスが出なかったり、あるいは更に酷いケースだと同通二人体制の非番の際にうとうとしてしまった結果クレームになったことも…実はこの手のクレーム、まったく笑えない話ですが通訳業界では決して少なくないようです。

いろんな意味で過度なオーバーワークは避けたいものですね。

どうやって上手くバランスを取っていけるのかなかなかに難しいところではあります。キャリアを積んで、実力を付けて自分の単価を上げていくこと(≒短い労働時間で必要な収入を稼げるようになること)が最大かつほぼ唯一の解決策ではありますが、ひょっとすると、これからお話する、会社勤めとの二つ目の相違点を上手く活かすことがバランスをとる上で大切になってくるのではないかと思います。

はい、それでは、会社勤めとフリーランスにおける「ワークライフバランス」の相違点、2点目です。

数年前に、とある外資系大手仮想化ベンダーのお仕事をしていたときにプレゼンテーションの中でこんなグラフが出てきました。(文章も含めて朧げな記憶を元に再生しております)1日24時間(グラフの縦方向)の中でワークの時間とライフの時間がどのように分かれているかを示しています。

右側の棒グラフはこのベンダーのビジョン、仮想化によって、つまりスマホ、タブレットその他デバイスを仮想化環境で使うことによって、出先・自宅あるいはどこからでも、オフィスの中にいるのと同じようにお仕事が出来るようになるとワークライフバランスがどのように進化していくかを表しています。もちろん、左側は従来のワークライフバランスです。会社に勤めている場合、ワークライフバランスはこのような形になるのではないかと思います。皆さまもワークライフバランスと言えばこのような一日のスケジュールを思い浮かべるのではないでしょうか?

実は私達フリーランスのワークライフバランスって仮想化を待たずとも、自ずと右のような形になっているのではないかと思います。どこかのオフィスに「出勤」してお仕事が始まるわけではなく多くの場合自宅がそのまま仕事場になる環境も大きいですし、携帯電話が普及して特に音声通話だけでなくテキストベースのやり取りをどこからでも出来るようになったことによって私達フリーランスのワークライフバランスは右側の形態にいち早く進化したのではないかと思います。

2006年の秋にフリーランスデビューしてすぐ私のワークライフバランスも右のようなバーコード模様になっていたように記憶しております。

例えばお仕事の問合せが、夕方から夜の「プライベートな」時間に入ってくる、あるいは繁忙期であれば土曜日にエージェントからの問合せが入ることも珍しくはありません。左のグラフのような「クラシックな」ワークライフバランスを指向するのであれば、メールの返信は次の日の朝、月曜日の朝ということになるのかもしれませんが、私にとっては子供と遊んでいる最中、5分だけスイッチをオンにしてスマホorタブレットでメール返信、その後またオフって子供と遊ぶなどということは日常茶飯事です。

晩御飯を食べて子供が寝静まった後に次の日の仕事の準備をしたり、あるいは子供を寝かしつけて寝落ちしちゃったら、早朝起きてその日のお仕事の準備をしたり、出張業務であれば、移動時間も準備(ワーク)あるいは休息(ライフ)のための大切な時間となります。

午前と午後のお仕事の間にちょっと、家の用事を済ませたり、あるいは繁忙期でスケジュールが詰まっている場合、お仕事とお仕事の間にマッサージ屋に入って仮眠をとるなどということもあります。睡眠不足の解消に効果ありますよ。余談ですがいつでもどこでもすぐに寝られるという資質はフリーランスとしては結構な強味ではないかと思います(笑)。

仕事と仕事の合間では、Wifi、電源を提供してくれるカフェも貴重な存在です。
某地下鉄路線の山手線から一駅が自宅の最寄り駅ですので仕事の合間に自宅に戻り易い環境ではあるのですが、それでも自宅に戻れるほどではない隙間時間で、次のお仕事の準備をしたり、プライベートな用事をこなしたり、休息したりと時間を有効に使うのにカフェは貴重な存在です。

お仕事とお仕事の間に映画見に行ったりする強者もいらっしゃるようです。次の仕事の準備考えるとかなり気持ちに余裕がないと難しいかもしれませが…コアなStar Warsファンの私は、最新作のThe Last Jediで一回だけそれをやったことあります(笑)。

サクサクと気持ちの切り替えを

そして私は、通訳のお仕事に加えて、音楽というもう一つのライフワークを持っておりますので更に状況は更にややこしくなります(笑)。

お仕事、音楽、家族のことその他プライベートのTo Do’sをパズルのように自分の予定に当てはめていっているような感覚になります。何かもう、バランスをとるというよりありとあらゆる時間の隙間を見つけては自分のやりたいことを全て突っ込んでいく感じでしょうか。

このバーコード状の、言って見れば極めてフレキシブルなワークライフバランスの中で生きていくにあたって、一つ大切なのは気持ちの切り替えの早さではないかと思います。見方を変えれば朝起きてから夜寝るまで、常に仕事だかプライベートだか単純に割り切れない時間が続くわけでして、こんな風に感じてしまうこともあるのではないかと(右のグラフですね)

白黒はっきりしたバーコードではなく、うすい灰色、単純にワークの時間が薄く長く引き伸ばされてしまっているように感じてしまうとつらいかもしれませんね。そうならないためにも常にその瞬間瞬間で自分がワークのために時間を使っているのか、ライフのために時間使っているのか目的意識を持った上で気持ちをちゃっちゃと切り替えていく必要があるのかなと。

この気持ちの切り替えを素早く行うにあたってはいくつかの要因があるのではないかと思います。(私の能天気な性格もとても大きいのではないかと思いますが、それ以外で)

一つは加齢(笑)

年を取るとともにこの辺りの気持ちの切り替えが早くなってきたように思えます。20代の頃、まだ会社員だった頃は例えば次の日の午前中に大きな仕事が入っていたりするとその前日の夜はプライベートをなかなか楽しめませんでしたが、最近では次の日の午前中に仕事が入っていても、平気で短時間勝負の飲み会を楽しんだ後、帰ってきてから準備、翌朝仕事に出かけることも普通にできるようになりました(笑)。

The Last Jediも終わったあとが結構ギリギリのスケジュールで最後のエンドロールは見ずに映画館を後にしましたが映画は十分堪能できました。(20代の頃だったら気が気じゃなくて映画の後半は頭に入っていなかったかもしれません。)

ということで年を重ねて人生経験を積むことで気持ちの切り替えが早くなっていく部分はあるのではないでしょうか。単に生体的な変化でモノゴトの感じ方が変わってきている面も大きいのかも(笑)。

年を取って気持ちに余裕が生まれたことに加えてキャリアを積んで多少の修羅場(笑)もくぐってきたことで日々のお仕事により平常心に近い心境で臨めるようになってきたこともあるのではないかと思います。キャリアを重ねることのメリットの一つですね。

冒頭にも申し上げましたがやはり英語通訳のお仕事が大好きであることも大きいです。お仕事に関わらず家族のこと、音楽のこと、多少の例外はございますが(笑)全て、楽しいことをやっているという感覚でいられることが、気持ちの切り替えの早さにつながっているのかなと。

それと最後に人間関係に恵まれていることが大変大きいです。お客様、通訳エージェントの皆さま、音楽仲間、飲み仲間、何より家族と素晴らしい人たちに囲まれて常にポジティブな気持ちでいられることも結果として気持ちの切り替えの早さにつながっているのかと思います。大変ありがたいことです。

というわけで、フリーランスの生活私はめいっぱい楽しんでおります♪

最初のグラフの元々のメッセージの通り、今後は会社やその他の組織勤めの方々もワークライフバランスの有り方もバーコード化(フリーランス化)していくのではないかとも思います。政府の進めている「働き方改革」などを待たずともテクノロジーの進化や社会の変化を受けて自ずと進化していくのではないかと。

働き方に対する意識を少し変え、ワークライフの気持ちの切り替えをサクサクこなせるようになれば、こういった変化は私達の「ライフ」をより豊かで楽しいものにしてくれるのではないかと思います。


丸尾一平
1970年生 の蠍座のB型。小4~中2までの四年半をアメリカNYで過ごす。帰国後、日本の私大卒、某洋酒系合弁会社に勤務後、通訳者を志す。現在はフリーランスの英語通訳者としてITIR、金融、製造業、ウイスキー、最近では2020東京オリンピック2019年ラグビーW杯といった分野でもビジネスの世界を主体に節操なく活動中。飛んできた球は全て受ける!をモットーにお薬とお医者様の世界以外は広く浅くカバーしている

家庭では妻一人、子二人の父ちゃん業を営み、扶養家族三人、住宅ローン残り30年弱を抱えて果たしてどこまで不安定なフリーランスでやっていけるのか、リスキーかつガッツあふれるチャレンジを続行中。夜間はギタリストとしても活動中。趣味はお酒。

※第1回~第29回は株式会社アルクの「翻訳・通訳のトビラ」サイトにて公開中!